ジョアン・ゴメス (João Gomes)

投稿者: | 2022年12月12日
最終更新 : 2023/12/29
更新履歴 : 2023/03/10, 02/08

ジョアン ヴィクトル ゴメス ダ シウヴァ フラメンゴ 2001年生まれ ボランチ

ジョアン・ヴィクトル・ゴメス・ダ・シウヴァ

João Victor Gomes da Silva

ポジション:ボランチ(Volante)

利き足:右

2001年2月12日生まれ

ジョアン・ゴメス選手(背番号35)2022年プレー集

<幼少期>

 リオデジャネイロ市の北東部ハーモスに生まれる。フラメンゴの球団歌を聞きながら生まれたという根っからのフラメンギスタ(フラメンゴファンの通称)。
 7歳の時に地元のサッカースクールでサッカーを始める。間もなく、フラメンゴのライバルクラブの目に留まり、勧誘を受け、入団する。しかし、馴染むことができず数カ月で辞めてしまう。翌2009年8歳でスクールの友達とフラメンゴのテストを受けに行くと、その日のうちに合格。憧れのフラメンゴに入団することになる。
 母と祖父の3人で暮らす生活には金銭的な余裕はない。フラメンゴの練習場に通うには2本のバスを乗り継ぐ必要があるが、いつも母が用意してくれるお弁当をバス停やバスの中で食べ、アマチュアチームのコーチをしていた祖父は幼い時から「プロの選手になれる」と言い続け、練習場までの道のりを送り迎えしてくれた。こんな生活が何年も続いた。

<クラブ経歴>

≪育成時代≫

 フラメンゴの下部組織では、いつの間にか将来を有望視されるようになる。しかし、常に順調だったわけではない。ほとんど試合に出れず、悩む日々もあった。その姿を見た母が他のクラブへ移籍することを勧めたこともあったが、ジョアンは「フラメンゴが自分を必要としなくなるまでフラメンゴを出ていかない」と言い、苦難の時期を乗り越えた。
 2019年、U-20チームでレギュラーを掴み、U-20カテゴリーの全国選手権、スーペルコパ、州選手権を制覇。U-20代表の招集も受けた(しかし、チーム事情で練習には不参加)。

≪フラメンゴ≫

– 2020年 –

 2020年もまたU-20チームでのプレーでスタートさせるが、コロナウィルス感染症による自粛期間明けに、トップチームの試合、リベルタドーレスのアウェイでの戦いにメンバー登録、9月17日、20日の連戦にてベンチ入りを果たす。帰国後は再びU-20チームの複数の試合に出場するが、10月21日、ホームでのリベルタドーレス グループラウンド ジュニオール・バランキージャ/ヴェネズエラ戦の後半開始時にピッチに立つ。フラメンゴの本拠地、幼い時から憧れたマラカナンでプロデビューを飾る。
 11月1日の全国選手権第19節では全国選手権デビューをスターティングイレブンとして飾ると、2021年2月25日の最終節まで、リベルタドーレスを含め12試合(うちスタメン3試合)に出場し、19歳のプロデビューシーズンを終えた。

– 2021年 –

 2021年度は、ホジェリオ・セニ(Rogério Ceni)監督のもと、前年度終盤に続き多くの試合で出場機会を得る。
 年度最初の大会、リオデジャネイロ州選手権では全15試合中14試合(うち9試合スタメン)に出場。決勝戦2ndレグ(5月22日ホーム)フルミネンセ戦ではベンチスタートながら、後半40分にピッチに立つと、後半41分、カウンターからペドロ(pedro)が放ったシュートのこぼれ球をダイレクトにゴールに蹴り入れ、州選手権優勝を決定づけるゴールを決める。プロ初ゴールもまたマラカナンで記録することとなった。
 4月11日に開催されたスーペルコパでは後半18分に交代出場。試合は2-2の同点で90分を終えPK戦に突入すると、6人目のキッカーとしてPKを成功。チームはPK戦をものにし、年初のタイトルを獲得する。
 4月半ばからリベルタドーレス、コパ・ド・ブラジルの試合が毎週のように週中に開催されるようになり、フル出場はほぼないものの多くの試合に出場。やがて、連戦の疲労が蓄積しパフォーマンスが低下する。
 そのような状況の中、7月10日の全国選手権第10節終了後にホジェリオ・セニ(Rogério Ceni)監督が解任、ヘナト・ガウーショ(Renato Gaúcho)監督が就任。
 すると、出場機会は、週中のカップ戦に主力を温存するため控えメンバーを中心に挑む試合に限定されるようになる。ベンチ入りしながらも、VOLの交代で本職でないCB/ZAGが起用される試合もあった。9月上旬には支払方法の相違で合意には至らなかったものの、アル・アイン/UAEへの500万ユーロ(選手保有権の50%)での売却が合意に近づいた。リベルタドーレス決勝ではベンチ入りさえ叶わなかった。

– 2022年 –

 2022年、ポーランド代表監督を務めていたポルトガル人パウロ・ソウザ(Paulo Souza)氏がチームの指揮を執る。パウロ・ソウザ監督は若手選手を積極的に起用、ジョアンもまた出場機会を得るようになる。州選手権は全15試合中13試合に出場。
 2月20日に開催されたスーペルコパにはスタメンで出場。12人目までもつれ込んだPK戦では6人目のキッカーとしてPKを成功。(チームはPK戦に敗れ準優勝。)
 全国選手権、リベルタドーレスも開幕からスタメンで出場を果たし、ジョアンは自信を取り戻していく。
 しかし、ジョアンの自信を取り戻すきっかけを与えてくれたパウロ・ソウザ監督は6月9日に解任。ドリヴァウ・ジュニオール(Dorival Júnior)氏が後任の監督に就任する。
 ドリヴァウ監督はチーム再建の一手として、ジョアンとチアゴ・マイア(Thiago Maia)をツーボランチで起用。すると、守備陣が安定し、前線と後衛の連携、攻守の切り替えがスムーズになる。
 ジョアンはドリヴァウ・ジュニオール監督の欠かせないピースとなり、シーズン途中に元チリ代表でヨーロッパのビッグクラブで活躍したアルトゥーロ・ビダル(Arturo Vidal)が加入するもレギュラーの座を譲ることはなかった。
 フラメンゴは、2022年をリベルタドーレスとコパ・ド・ブラジルの二つのタイトルを獲得した。その中にあってジョアンはチーム最多の64試合に出場、出場時間4209分はチーム2位を誇る。
 全国選手権全日程終了後には、記者の投票によるベストイレブンにボランチとして選出された。

ウルヴァーハンプトン

– 2022/23年 –

 2023年1月30日、ウルヴァーハンプトン/ENGがジョアン・ゴメスの獲得を発表。契約期間は2028年6月まで。移籍金は非公表。
 2023年2月11日、プレミアリーグ第23節サウサンプトン戦、後半25分に交代出場でクラブデビューを果たす。後半42分、敵陣中央でボールを奪いそのままシュート。このシュートはブロックされるが、跳ね返りのボールを右足でゴール右上隅に叩き込み、クラブ初得点を決める。
 4月8日第30節以降は、7試合(うち先発6試合)に出場。移籍後一年目のシーズンを11試合(うち先発7試合)1得点で終えた。

– 2023/24年 –

 2023/24シーズンは、開幕節をスタメンで起用されると、その後もスタメンに定着。センターバックがマークで前に出た際のカバーリングやサイドバックとのマークの受け渡しは連係が取れ、攻撃時にはビルドアップ、相手陣ではセカンドボールの回収やサイドから起点になるゴールに繋がるプレーをみせるなど、フラメンゴ時代よりも少しプレーに幅ができたように思われる。

今後は欧州での活躍が期待され、多くのメディアやブログ、SNS等で情報が収集できるようになると思われますので、当ブログでの情報更新は2023年12月29日をもって終了します。
Boa Sorte, João !!!

≪シーズン別クラブ出場記録≫

シーズン所属大会試合出場
時間
得点アシ
スト
2020年(19歳)フラメンゴリベルタドーレス37400
全国選手権1149700
 合計1457100
2021年(20歳)フラメンゴリベルタドーレス628800
全国選手権19100301
コパ・ド・ブラジル423110
スーペルコパ・ブラジル12700
州選手権1482511
 合計44237422
2022年(21歳)フラメンゴリベルタドーレス1282501
全国選手権29188001
コパ・ド・ブラジル13400
スーペルコパ・ブラジル19000
州選手権1373700
 合計64420922
2022/23年(22歳)ウルヴァーハンプトン/ENGプレミアリーグ1165110
 合計1165110
2023/24年(23歳)ウルヴァーハンプトン/ENGプレミアリーグ17130700
リーグ杯11700
 合計18132400
イタリック斜体は、2023年12月29日現在の記録。
※ シーズン欄の年齢は、12月31日時点の年齢です。

<代表経歴>

 2023年3月25日開催の親善試合モロッコ戦に向けたハモン・メネゼス監督代行率いるフル代表に招集。

<2022年プレースタイル

 ドリヴァウ・ジュニオール監督体制では、第二ボランチとして、ビルドアップ時には最終ラインまたは第一ボランチと前線のつなぎ役を担い、前線に近い位置ではルーズボールの回収を行い、タイミングを見計らいゴール前に顔を出す。守備時にはリーグ7位のボール奪取、リーグ12位のデュエル勝利といった数字に表れる結果やタイトなマークで守備に安定をもたらした。
(プレー集の動画が冒頭にあるので実際のプレーをご覧ください)

<エピソード、雑感 etc.>

 ジョアン・ゴメスは、幼い頃から貧しいながらも毎日支えてくれた母と祖父、二人への感謝の気持ちを常に持ち続けている。
 2019年にフラメンゴとの契約を更新する際には、母と祖父に同席してもらい三人で喜びを分かち合った。
 2020年、毎日のように祖父と手をつないで通った練習場までの道のり、フラメンゴでプロ選手となり本拠地マラカナンでプレーする夢への道のりを、感謝の気持ちとともにタトゥーに描いた。その後間もなく、祖父はジョアンがプロ選手としてプレーする姿を見ることなく膵臓の腫瘍で亡くなった。しかし、今はタトゥーの中でいつもジョアンとともにピッチに立っている。間もなく、祖父が夢にも思わなかったであろう世界、ヨーロッパのビッグクラブや代表のユニフォームを着てピッチに立つ世界を、ジョアン・ゴメスは祖父とともに歩んでいくことになるだろう。

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