最新更新日 : 2024/02/17 投稿日 : 2023/11/23
ジョン・ケネジー・バチスタ・デ・ソウザ
John Kennedy Batista de Souza
ポジション: センターフォワード/セントロアヴァンチ
利き足:右
2002年5月18日生まれ
<幼少期>
ブラジル連邦共和国ミナスジェライス州、州都ベロオリゾンテから西へ約80㎞、ベロオリゾンテ都市圏を構成するイタウーナに生まれる。
<クラブ>
≪育成時代≫
サッカーのキャリアは、州都ベロオリゾンテに本拠を置くアメリカ・ミネイロでスタート。しかし、11歳の時、寮で同僚とひと悶着を起こし、クラブから退寮、退団を通告される。代理人はクラブの下部組織責任者を説得するがクラブの決定を覆すことは出来なかった。
13歳になり、ジョン・ケネジーは再びベロオリゾンテに赴く。クルゼイロの下部組織に加入する機会を得たのだ。 加入後間もなくは慣れ親しんだセンターフォワードとして練習をしていたが、ある日コーチから右サイドバックでのプレーを見たいと言われた。しかし、ジョン・ケネジーは「ゴールを決めるのが好きだから」という理由でサイドバックとしてプレーすることを拒否。コーチはジョン・ケネジーの代理人や教会の神父にまで電話をかけ説得するよう依頼するが、ジョン・ケネジーは断固としてセンターフォワードとしてプレーすることを譲らず、クルゼイロも退団することになる。
クルゼイロ退団後は、ベロオリゾンテでアトレチコ・ミネイロの門を叩くが、入団することは叶わず、イタウーナの実家に戻る。ベロオリゾンテの三大クラブでのプレーが断たれると、代理人に手を引かれソシアウ・サンジョアン・デルレイというベロオリゾンテ近郊の町のクラブを訪れる。
ソシアウ・サンジョアン・デルレイは、当時U-15チームのセンターフォワードを探しており、ジョン・ケネジーは訪問したその日のトレーニングで一発合格、入団が認められた。 ソシアウ・サンジョアン・デルレイの当時のコーチは「ジョン・ケネジーは入団直後から豊富なタレントを見せていた。とてもアグレッシブで、技術の高さや、次々に一対一を仕掛ける気持ちの強さを見せていた。いいキックを蹴っていたよ」と述懐する。
ジョン・ケネジーは、U-15チームに所属しながら、2017年7月、タッサBHという全国規模のU-17カップ戦に出場。この大会は、ブラジルの主たるクラブのU-17チームが参加し、各クラブのスカウト陣が集う大会としても有名だ。 この大会で、ソシアウ・サンジョアン・デルレイは、RBブラガンチーノとサントスを抑え、ボタフォゴに次ぐ2位の成績で予選グループを突破。ソシアウ・サンジョアン・デルレイの複数の選手がフルミネンセでの練習参加の機会を得る中、U-15カテゴリーの選手として唯一、ジョン・ケネジーにも練習参加の声がかかった。
当時のフルミネンセU-17チームには、センターフォワードとして3選手が在籍、うち2選手は世代別代表経験者という構成。しかし、ジョン・ケネジーはその実力、潜在力が認められ、2018年にフルミネンセU-17チームへの入団を勝ち取る。
フルミネンセU-17では、2018年こそ公式戦3試合41分の出場にとどまるが、2019年は主力として3大会で計39試合に出場、リオデジャネイロ州選手権では、23試合の出場で2位に6ゴール差をつける15ゴールで得点王に輝き、チームを優勝に導いた。
2020年にはU-20チームに昇格。昇格直後から途中交代で多くの出場機会を掴むと、シーズン後半にはレギュラーの座を獲得、U-20全国選手権では11得点で得点ランキング2位。トップチームへの移行期間としてU-23チームでの試合に出場するようになる。
≪フルミネンセ≫
– 2020 –
コロナ感染症拡大の影響で閉幕が翌年にずれ込んだ2020年全国選手権、2021年1月20日第31節コリチバ戦の後半開始時、マルカォン(Marcão)監督代行によりピッチに送られプロデビュー。後半14分、味方のシュートを相手GKがブロックしたボールに反応、ディフェンダーに詰められながらも地面に叩きつけるシュートでプロ初ゴールを記録。
翌1月24日全国選手権第32節ボタフォゴ戦ではスタメンに抜擢。自身5試合目となる2月15日全国選手権第32節セアラー戦ではデビュー戦に続き1得点を記録。デビューシーズンは約35日間で7試合276分2得点の記録を残し終えた。
– 2021 –
2020年のコロナ感染症拡大による変則日程の中、2020年全国選手権が閉幕(2月25日)した翌週にリオデジャネイロ州選手権が開幕(3月4日)。ホージェル・マシャード(Roger Machado)監督の就任もあり、州選手権はチーム15試合のうち、8試合219分の出場にとどまる。僅かな出場時間で2得点を記録し得点力の高さを見せるが、4月17日州選手権ボタフォゴ戦後にコロナ感染症検査に陽性反応、その後こじらせ約3か月ピッチを離れる。復帰後もトップチームでは出場機会をほとんど得られない。
主戦場はU-23、U-20へ移るが、9月の一か月間で7試合9得点2アシストを記録すると、再びマルカォン監督代行のもと、10月9日全国選手権第25節アトレチコ・ゴイアニエンセ戦でトップチームに復帰。
10月23日全国選手権第28節、フルミネンセの最大のライバル、フラメンゴとのクラシコで先発に抜擢されると、前半16分、左SBマルロン(Marlon, 1997, 2023年クルゼイロ)からのクロスボールにファーサイドで足を合わせ、GKに弾かれたボールをさらに詰め先制ゴール。後半16分には、FWルイス・エンヒキ(Luiz Henrique, 2001, 2023年ベティス/ESP)のGKに向かうグラウンダーのクロスに、一旦ディフェンダーの背後に隠れ、一気にGKの前に現れ足を合わせるゴール。自身初出場のクラシコ「Flu-Fla(フル‐フラ)」で2得点、この活躍で一気にサポーターの心を射止めることになった。
– 2022 –
2022年は1月開幕のU-20全国大会カップ戦で始動。5試合5得点と格の違いを見せる。しかし、大会終了後、トップチーム再合流前の一か月間の休暇期間中に手術を要するケガを負う。さらに5月には、捜査の結果、事件性はなかったものの、自家用車を押収され警察署に出頭を命じられる出来事が起こり新聞の一面を賑わし、ピッチ外でトラブルが相次ぐ。
5月のフェルナンド・ジニース監督就任後には、複数の試合で途中出場のチャンスをもらうが結果を残すことができず、再びU-23、U-20に主戦場を移す。 2022年9月に入ると、トップチームのトレーニングへの遅刻や欠席といった規律違反を繰り返すようになり、クラブはトップチームでのトレーニングを禁じる措置をとる。
2022年12月、フルミネンセは2023年1月に開幕するサンパウロ州選手権限定で、フェホヴィアーリアへの期限付き移籍契約を取りまとめる。クラブは、ジョン・ケネジーが2人の子供や家族をリオデジャネイロに残し、設備的にもフルミネンセには大きく劣るフェホヴィアーリアへ単身で赴くことで、サッカーと真摯に向き合い、精神的に成熟することを期待しての契約だった。
– 2023 –
フェホヴィアーリアでの期限付き移籍期間は、サンパウロ州選手権予選ラウンド11試合で6得点。予選ラウンドの最多得点を記録しフルミネンセに帰還。 フルミネンセは全国選手権に向け、背番号「9」をジョン・ケネジーに与える。
2023年4月15日、全国選手権開幕節アメリカ・ミネイロ戦、前年全国選手権得点王FWヘルマン・カーノ(Germán Cano, 1988)とのツートップでスタメン出場を果たすと、後半15分にフルミネンセでのシーズン初ゴールを記録。 翌節以降は、チームがスリートップを採用する試合が多く、FWヘルマン・カーノの控えに回ることが多くなるものの、ターンオーバーや途中交代で着実に試合出場やゴールを重ねていく。
リベルタドーレスでは、決勝ラウンドのベスト16アルヘンティーノス・ジュニオルス/ARG戦2ndレグから、決勝ボカ・ジュニオルス/ARG戦までの6試合に連続出場、4得点2アシストを記録。
特に印象的だったのは以下の2ゴール。 2023年10月4日、準決勝インテルナシオナウ戦2ndレグ、後半36分、後方からのFWケーノ(Keno, 1989)のスルーパスにオフサイドギリギリで最終ライン裏に抜け出すと、間合いを詰めるGKをチップキックでかわす2試合合計で同点に追いつくゴール。 2023年11月4日、決勝ボカ・ジュニオルス/ARG戦、延長前半9分、ペナルティエリアから下がりポスト役でボールをさばくと、前を向いてペナルティエリア入口に向かい、FWケーノがペナルティエリア内から落としたボールをダイレクトにゴールに突き刺す決勝ゴール。
2021年10月23日のフラメンゴ戦でサポーターの心を射止めたジョン・ケネジーは、クラブ史上初のリベルタドーレス制覇を決定づけるゴールでサポーターの記憶に残る選手となった。
(To be continued...)
≪シーズン別クラブ出場記録≫
シーズン | 所属 | 大会 | 試合 | 出場 時間 | 得点 | アシ スト |
---|---|---|---|---|---|---|
2021年(19歳) | フルミネンセ | 全国選手権 | 13 | 572 | 2 | 0 |
コパ・ド・ブラジル | 1 | 3 | 0 | 0 | ||
州選手権 | 8 | 219 | 2 | 0 | ||
合計 | 22 | 794 | 4 | 0 | ||
2022年(20歳) | フルミネンセ | コパ・スウアメリカーナ | 1 | 21 | 0 | 1 |
全国選手権 | 6 | 135 | 0 | 0 | ||
コパ・ド・ブラジル | 1 | 10 | 0 | 0 | ||
合計 | 8 | 166 | 0 | 1 | ||
2023年(21歳) | フェホヴィアーリア | サンパウロ州選手権 | 11 | 972 | 6 | 0 |
合計 | 11 | 972 | 6 | 0 | ||
フルミネンセ | クラブW杯 | 2 | 56 | 1 | 0 | |
リベルタドーレス | 10 | 453 | 4 | 3 | ||
全国選手権 | 26 | 1368 | 6 | 1 | ||
コパ・ド・ブラジル | 3 | 77 | 1 | 1 | ||
合計 | 41 | 1954 | 12 | 5 | ||
2024年(22歳) | フルミネンセ | |||||
合計 |
イタリック斜体は、2024年2月17日現在の記録。 ※ シーズン欄の年齢は、12月31日時点の年齢です。
<代表(世代別含む)経歴>
≪2024年パリ五輪南米予選≫
2023年12月21日にCBFより発表された2024パリ五輪南米予選(2024年1月20日~2月11日)U-23代表選手、23選手(GKは3選手)の一人として選出された。
下表「節」欄のリンクは、当ブログの記事にリンクしています。記事内には、当該試合の出場&控えメンバー(ブラジルU-23代表のみ)、試合経過、得点シーン中心の動画、所感を掲載しています。
試合日 | 節 | 対戦 相手 | 試合 結果 | 出場 時間 | 得点 | アシ スト |
---|---|---|---|---|---|---|
2024/01/20 | 予選第1節 | 対戦なし | – | – | – | – |
2024/01/23 | 予選第2節 | ボリビア | 1 – 0 | 71 | 0 | 1 |
2024/01/26 | 予選第3節 | コロンビア | 2 – 0 | 90 | 1 | 0 |
2024/01/29 | 予選第4節 | エクアドル | 2 – 1 | 86 | 0 | 0 |
2024/02/01 | 予選第5節 | ベネズエラ | 1 – 3 | – | – | – |
2024/02/05 | 決勝第1節 | パラグアイ | 0 – 1 | 90 | 0 | 0 |
2024/02/08 | 決勝第2節 | ベネズエラ | 2 – 1 | 81 | 0 | 0 |
2024/02/11 | 決勝第3節 | アルゼンチン | 0 – 1 | 32 | 0 | 0 |
合計 | 8 – 7 | 450 | 1 | 1 |
自陣からのロングボールのターゲットや、自陣深くまで戻っての守備など、ブラジル代表攻撃陣を牽引。
初戦の予選第2節ボリビア戦の前半4分にセンターサークル付近で空中戦に競り勝ちFWエンドリッキの先制ゴールをアシスト。
予選第3節エクアドル戦では、前半25分にペナルティエリア手前から果敢なミドルシュート。このシュートはGKにストップされたがFWエンドリッキがこぼれ球をゴールに押し込む。アシストはつかなかったもののチームの先制ゴールに関与。 さらに、後半38分、FWガブリエウ・ペッキが後方からのロングボールに左サイドを抜け出し、ペナルティエリアに侵入しゴールライン手前からマイナスのボール。このボールをペナルティエリア入口正面から豪快に蹴り込み得点を記録。
決勝第1節パラグアイ戦では、前半43分にFWエンドリッキからのマイナスのボールをフリーの態勢でのシュート。しかし、これは枠を捉えることがなく、チームは零封でこの試合を落とす結果に。
結果的に引き分けでもパリ五輪出場が可能となった決勝第3節アルゼンチン戦は、得点を奪われたくないチーム戦術の中ベンチスタート。後半13分、0-0の状況で満を持して交代出場を果たす。後半16分にFWガブリエウ・ペッキのシュートに関与、後半18分には自らがシュートに持ち込み、試合の流れをブラジルに引き寄せる活躍。 しかし、チームは後半28分の守備的な選手交代を行い、これを機にボールに触る機会が減少。失点後に最後の選手交代枠で攻撃的な選手を投入するものの、ロングボールを警戒するアルゼンチン守備陣を前にやはりほとんどボールに触ることができず、ピッチ上で五輪予選敗退の屈辱を味わった。
<プレースタイル、エピソード、雑感 etc.>
利き足は右。 身長181㎝、体重77㎏。(サッカーサイト「oGol」より、2023/11/23参照)
ポジションはセンターフォワード。プロ契約前の育成時代には「ゴールを決めるのが好きだから」という理由で、監督の指示によるサイドバックでのプレーを拒絶し続け、クラブを退団に追い込まれた経歴を持つように、ゴールを奪うことに強いこだわりを持つ。
強靭な肉体で屈強なディフェンダーを抑え込んだポストプレーを得意とするが、一方で、巧みにディフェンダーのマークを外しワンタッチでゴールを奪うポジショニングも特長の一つ。 中距離の抑えの効いた豪快なシュートや、GKの頭上を越す柔らかいシュートなど、シュート技術は高く、バラエティーも豊富。
2022年までは強引にシュートに持ち込む場面がしばしば見られたが、2023年は強引さは残しつつも、フリーランニングやボールを受けに下がることで味方のスペースを作り出し、高い位置で周りの選手を上手く使うことで、アシストやゴールに関与するプレーが増えている。
リベルタドーレス決勝戦進出を決めた一週間後の2023年10月11日には、フルミネンセとの契約を2026年末まで更新。 自我の強さや練習への遅刻や不参加といった規律違反など、幼い頃から数々のトラブルを繰り返してきたが、2023年初めの期限付き移籍や、クラブからの期待が込められた背番号「9」の授与を経て、サッカー選手、一社会人として成熟し、責任感を強く感じることによって勝ち得た契約更新だと思いたい。
何度も自身を売り込んでくれた代理人や、フルミネンセトップチームで何度もチャンスを与え続けてくれたマルカォン監督代行、リベルタドーレスではスーパーサブとして全幅の信頼を置いてくれたフェルナンド・ジニース監督。そして、更生する機会や自身への期待を表現してくれたクラブ。多くの支えによって現在のジョン・ケネジーは存在する。
リベルタドーレス決勝戦での決勝ゴール後には、サポーター席まで駆け上がり、2枚目のイエローカードを提示され退場処分を受けるなど、まだまだ未成熟な部分もある。
しかし、今後は、フルミネンセをリベルタドーレス初制覇に導いた選手としてサポーターの記憶に残り続ける。サポーターを裏切らないためにも、以前に増して責任感を感じ、自身を律してサッカーに取り組み、サポーターや今まで支えてくれた面々への感謝の気持ちを忘れずに、サッカー人生を歩んで行ってもらいたい。
2023年2月、フェホヴィアーリアでプレーするジョン・ケネジーのSNSに一件のメッセージが届いた。
我らがフルミネンセのクラッキよ、体に気をつけろよな! 今年はリベルタドーレスを取ろうぜ! 決勝戦でのお前のゴールで!
ジョン・ケネジーは、このメッセージを自身のSNSに公開、そして、9か月後に実現した。