最新更新日 : 2024/09/10
ホベルチ・ヴィニシウス・ホドリゲス・シウヴァ
Robert Vinicius Rodrigues Silva
ポジション:フォワード(ウィング)/アタカンチ(ポンタ)
利き足:右
2005年4月13日生まれ
<幼少期>
ブラジル連邦共和国ミナスジェライス州、州都ベロオリゾンテから北へ約350kmの場所に位置する人口約6万人の小さな町ピラポラに生まれる。
ホベルチのスポーツ歴は、父の影響でBMX(バイシクルモトクロス)に始まる。 3歳でモトクロスの「レース」種目を始めると、2013年に男子7歳以下、2014年に男子9歳以下のカテゴリーで州大会に優勝。全国大会や南米大会でも優勝経歴を持つ。
この頃は単なる趣味としてボールを蹴っていた。
<クラブ経歴>
≪育成時代≫
地元のサッカーチームでサッカーをしていると、ある日、クルゼイロのスカウトから入団テストを受けるように勧誘される。ベロオリゾンテに赴き、一週間に渡る入団テストに受験すると無事合格。父と話し合った結果、これを機にBMXを辞め、サッカーに集中することを決断する。
2017年、11歳の時にクルゼイロに入団するものの、当時は家族とともにピラポラに住んでいたため、最初の一年は平日の隔日のトレーニングや週末の練習試合、公式戦のために、二週間おきにピラポラとベロオリゾンテを往復する生活を送る。
家族の経済的にも、ホベルチ自身の体力や精神的にも厳しい一年間を過ごすが、翌年には条件が整い家族でベロオリゾンテへ引っ越し。生活やサッカーの環境が変わると、よりサッカーに打ち込めるようになり、U-12カテゴリーで多くのチームタイトルや個人賞を獲得、一躍注目を集めるようになる。
2020年(年初で14歳)には、U-17カテゴリーに昇格。この年には自身初の世代別代表、U-16代表への招集を受ける。
2021年には、2004年生まれが主体となるU-17チームでプレーし、主に右ウィングとしてチーム公式戦年間33試合のうち25試合(うち先発6試合)に出場、4得点を記録。 法的にプロ契約が可能となる16歳の誕生日の約一か月後、2021年5月25日にはクルゼイロとプロ契約を締結する。
2022年は、4月に相次いで開幕し並行して開催されるU-17州選手権とU-17コパ・ド・ブラジルに出場。 7月6日~7月31日は、U-20州選手権、U-20全国選手権の両大会において計7試合に出場、3得点を記録する。 8月にU-17チームに戻り、レギュラーとして試合にでると、チームはU-17州選手権に優勝。 10月に主戦場が再びU-20に移ると、途中交代出場が主となるが、U-20州選手権のタイトルを獲得し、変則二冠を達成して一年を締めくくる。
2023年はU-20チームに昇格。1月に開催されるU-20カテゴリーの全国大会カップ戦に出場し、チーム全5試合のすべての試合に途中交代出場、1得点1アシストを記録。3月に開幕したU-20全国選手権、5月に開幕したU-20州選手権では、先発での起用も増えていく。
≪クルゼイロ≫
– 2023 –
2023年6月10日全国選手権第10節バイーア戦で初のトップチームでのベンチ入り。 7月8日全国選手権第14節ヴァスコ・ダ・ガマ戦、自身5試合目のベンチ入りを果たすと、後半18分に交代出場でピッチに立ち18歳のプロデビューを飾る。 7月16日第15節コリチバ戦ではプロ初のスタメン出場。
8月19日第20節コリンチャンス戦で後半37分に約一カ月ぶりの出場を果たすが、以降は試合経験を積むため、再びU-20チームに合流。U-20州選手権は準決勝、決勝のホーム&アウェイの計4試合、U-20コパ・ド・ブラジルは準々決勝2ndレグ、準決勝ホーム&アウェイ、一発勝負の決勝の計4試合に出場。両大会とも優勝で締めくくる。
11月2日全国選手権第31節サンパウロ戦でトップチームに復帰。 11月27日第35節ゴイアス戦、0-0で迎えた後半38分に交代出場を果たすと、後半45+6分、GKのロングスローを左サイドライン際で受けたFWブルーノ・ホドリゲス(Bruno Rodrigues, 1997)を右サイドから両手を上げ、パスを要求。ブルーノ・ホドリゲスのサイドチェンジのパスをペナルティエリア手前右を受けると、GKの位置を確認し、右足を振り抜く。ボールはファーサイドのサイドネットを揺らす決勝ゴール。そして、自身のプロ初ゴール。同時にチームの1部残留を確定するゴールとなった。
それまでは10分前後の出場に限られていたが、クルゼイロの1部残留が決まると、第37節ボタフォゴ戦、第38(最終)節パウメイラス戦は、それぞれ約30分間の出場。2023年全国選手権の台風の目となったボタフォゴ、2023年全国選手権で二連覇を達成したパウメイラスと、強豪2チームとの対戦で多くの学びを得て、2023年を締めくくった。
– 2024 –
2024年1月24日ミナスジェライス州選手権開幕節にて左ウィングとして先発出場を果たすと、5試合連続でスタメンを務める。しかし、2月15日第5節アメリカ・ミネイロとのクラシコでの前半30分、空中戦で頭を強打し途中交代を余儀なくされる。10日後の第7節にて後半途中出場で復帰するが、チームの戦術変更もあり、その後は出場機会を失う。
5月30日コパ・スウアメリカーナでの後半45分間の出場を機に出場機会が増え、6月16日全国選手権第9節‐第11節にて3試合連続スタメン出場を果たすがアシストやゴールといった結果を残すことができず、その後は7月に開いた移籍ウィンドウでの補強の影響もあり再び交代要員に甘んじる。
≪コペンハーゲン≫
– 2024/25 –
2024年8月2日、クルゼイロはFWホベルチのコペンハーゲン/DENへの期限付き移籍を発表。期間は2025年6月末、買取オプションが附帯。
2024年8月22日ヨーロッパカンファレンスリーグ予備予選1stレグにて後半40分にピッチに送り出されクラブデビュー。
8月25日デンマーク・スーペルリーガ第6節では後半21分にピッチに立ち、後半33分にチームの2点目のゴールをアシスト。
8月29日ヨーロッパカンファレンスリーグ予備予選2ndレグにて後半32分に交代出場。
2024年9月10日現在、チームはヨーロッパカンファレンスリーグ本戦への出場を決め、リーグ戦は4勝2分1敗の4位。9月のFIFA国際Aマッチデー期間終了後には出場機会を増やし、欧州での活躍の足掛かりとしたい。
≪シーズン別クラブ出場記録≫
シーズン | 所属 | 大会 | 試合 | 出場 時間 | 得点 | アシ スト |
---|---|---|---|---|---|---|
2023年(18歳) | クルゼイロ | 全国選手権 | 9 | 179 | 1 | 0 |
合計 | 9 | 179 | 1 | 0 | ||
2024年(19歳) | クルゼイロ | コパ・スウアメリカーナ | 2 | 59 | 0 | 0 |
全国選手権 | 12 | 392 | 0 | 1 | ||
州選手権 | 7 | 336 | 0 | 0 | ||
合計 | 21 | 787 | 0 | 1 | ||
2024/25年(20歳) | コペンハーゲン/DEN | ヨーロッパカンファレンスリーグ | 2 | 18 | 0 | 0 |
デンマーク・スーペルリーガ | 1 | 24 | 0 | 0 | ||
合計 | 3 | 42 | 0 | 0 |
イタリック斜体は、2024年9月10日現在の記録。
※ シーズン欄の年齢は、12月31日時点の年齢です。
<代表(世代別含む)経歴>
2020年2月、2005年生まれによるU-16世代別代表24選手の一人として選出。この招集は2020年3月10日-19日にかけて実施される代表合宿を対象としたものだったが、コロナウィルス感染症拡大による影響で当該合宿は中止となった。
<プレースタイル>
利き足は右。 身長174㎝、体重不明(2023年12月15日現在「Wikipédia」参照)
ポジションについては、クルゼイロ入団当初は中盤でプレーするが、間もなくフォワード(ウィング)に転向。2023年現在は主に右ウィングでプレー。試合によっては左ウィングとしてもプレーする。
プロ初ゴールは、サイドチェンジのボールをしっかりとコントロールして受け、丁寧にボールを置くと、GKの位置を確認し、コースを狙って落ち着いたシュート。
身体的には、しなやかで一瞬のキレのある動きや、ブレの少ない体幹の強さが見られる。 プレー面では、ペナルティエリアを斜めに侵入しディフェンダーの間で放つワンタッチのシュートや、左サイドからドリブルで内に切れ込み放つシュートなど、ウィングではあるが、チャンスを作り出すプレーよりもゴールを狙うプレーが印象に残っている。
幼い頃はBMXでトップクラスの成績を残しており、そこで養われたであろう集中力、バランス感覚、体幹や下半身の強さ、瞬発力がサッカーにも生かされているように思われる。
2023年11月23日全国選手権第36節アトレチコ・パラナエンセ戦では、2021年クルゼイロU-17チームで共にプレーした同じ年のヴィトル・ホッキ(Vitor Roque, 2005)と再会。セットプレーのリスタート前にヴィトル・ホッキがホベルチに話しかける姿がテレビに映し出されていた。
ヴィトル・ホッキは、クルゼイロ、アトレチコ・パラナエンセで実績を残し、一足早く2024年1月にバルセロナ/ESPへ移籍するが、ホベルチのプロ選手としてのサッカー人生は始まったばかり。ホベルチのスピードやキレは、すでにプロとして通用しており、サッカー選手としての高い素質の片鱗を見せている。今後は試合経験を積み重ね、判断力やプレーの細部の精度を上げていき、やがてはヴィトル・ホッキを追うようにヨーロッパへ旅立つことになるだろう。