新規投稿 : 2024/03/28
ヤルレン・ファウスチーノ・アウグスト
Yarlen Faustino Augusto
ポジション:フォワード(ウィング)/アタカンチ(ポンタ)
利き足:両足
2006年2月20日生まれ
<幼少期>
ブラジル連邦共和国リオデジャネイロ州リオデジャネイロに生まれる。
<クラブ経歴>
キャリアはリオデジャネイロ市内北部に本拠を置くオラリアAC下部組織に始まる。オラリアACは1915年設立と歴史はあるものの、全国選手権への参戦は旧レギュレーション時代での僅かな回数に止まり、主戦場はリオデジャネイロ州選手権2部という全国レベルでは弱小クラブ。
しかし、ヤルレンはそのクラブにあって、ジーコ(Zico)が主催するトーナメントで最優秀選手賞に輝くなど、U-14、U-15チームの各種大会で活躍。強豪クラブのスカウト陣の注目を集めるようになる。
≪育成時代≫
2021年後半に15歳でボタフォゴ下部組織に入団。クラブとは育成契約を結び、翌年を見越してU-17チームに加入する。
年が明け2022年に入ると、すらりとした華奢な体格を脱却するため、肉体改造、筋力トレーニングに取り組み始める。
2022年2月、リオデジャネイロ州の強豪クラブU-16チームが集う同年代が主体となる大会に出場、技術面では十分に通用することを証明する。
その後、時間の経過とともに筋力トレーニングの効果が現れ始め、一年年上の2005年生まれが主体となるU-17チームで徐々に出場機会に恵まれていく。技術面だけでなく体格の面でも成長の跡が見られ、サッカー選手として将来が嘱望されるようになると、2022年12月、ボタフォゴはヤルレンと3年間のプロ契約を締結。その契約には3000万ユーロの契約違約金が設定された。
2023年(年初16歳)には、シーズン開始時からU-17チームのレギュラーとして活躍。チーム公式戦年間39試合のうち36試合に出場。シーズン後半にはU-20チームの試合にも出場する。
≪ボタフォゴ≫
– 2024 –
2024年(年初17歳)トップチームに昇格。1月のU-20全国大会カップ戦に選手登録されたもののU-20チームに帯同せず、トップチームでトレーニングを積む。するとある日、CBF(ブラジルサッカー連盟)からクラブに連絡が入る。2月に開幕するパリ五輪南米予選代表の国内での事前トレーニングにおけるサポートメンバーとして招集の連絡だった。10日間弱の期間をU-23代表とのトレーニングに参加する。
U-23代表とのトレーニングに参加し、刺激を受けたものの、クラブ再合流後はトップチームでの試合出場はおろかベンチ入りも果たせない。
2024年2月22日、トップチームのチアゴ・ヌーネス(Thiago Nunes)監督が成績不振を理由に解任。後任の監督人事は順調さを欠き、ファビオ・マチアス(Fábio Matias)アシスタンスコーチが監督代行としてチームを率いる。
すると、3月3日州選手権グループラウンド最終節のクラシコとなるフルミネンセ戦にてヤルレンはファビオ・マチアス監督代行のもと初のベンチ入り。そして、後半44分、チームが3-2とリードする状況でピッチに送り出され18歳のプロデビューを飾る。 ボタフォゴにおいて2006年生まれとしてトップチームの公式戦デビュー一番手となった。
ところが、ヤルレンはこのプロデビュー戦で一躍サッカー界の注目を集めることになる。
後半アディショナルタイム、ヤルレンは相手陣ゴールライン際に流れたボールを相手ディフェンダーの股を抜いて確保しようとする。股を抜かれたディフェンダーは強引に体を入れてボールを奪おうとするが、その際に腕がヤルレンの目元を直撃。ヤルレンはそのままピッチ外に倒れ込み、レフリーはノーファールとしてプレーを継続させる(その後まもなくボタフォゴがファールでプレーを止める)。
これを見たボタフォゴ選手が、治療による時間を稼ぐため、倒れ込むヤルレンの体をピッチ内に引き入れる。しかし、早くリスタートさせたいフルミネンセGKはヤルレンの足を持ち再びピッチの外へ引きずり出す。さらにそれを見たボタフォゴのベンチ選手が立ち上がろうとするヤルレンをピッチ内へ押し倒す。
ボタフォゴ側は、この一連のきっかけとなったプレーがファールだとクレーム、さらにヤルレンを引きずり出したフルミネンセGKの行為についても審判に詰め寄り、試合は一時中断する。
最終的にフルミネンセGKにはイエローカードが提示、アディショナルタイムも2分延長され、両チーム痛み分けの形に。ゴールラインのあちらとこちらを二度三度となされるがままに引きずられるヤルレンの姿がWeb上で笑いを誘うことになった。
デビュー戦で思わぬ形で注目を集めたヤルレン。 しかし、一週間後の3月10日、州選手権5-8位決定戦の一回戦サンパイオ・コヘア-RJ戦1stレグにて後半29分にピッチにたつと、後半37分、ペナルティエリア外、ゴールまで直線距離約25m、約45度の角度の位置でボールを受けると、ディフェンダーとの一対一の対峙を縦への仕掛けをおとりに中央へ切れ込み、左足でゴールニアサイドのゴールネットを突き刺すゴラッソ。プロ初ゴールは、0-0の均衡を破りチームを勝利に導くゴールとなった。
3月27日には州選手権5位決定戦1stレグにて後半18分に出場。後半45+1分、SBハファエウ(Rafael, 1990)がスライディングタックルで相手ボールを掻き出したボールを拾い、ペナルティエリア右に侵入すると、今回は右足を振り抜きゴールネットを揺らす。
≪シーズン別クラブ出場記録≫
シーズン | 所属 | 大会 | 試合 | 出場 時間 | 得点 | アシ スト |
---|---|---|---|---|---|---|
2024年(18歳) | ボタフォゴ | 全国選手権 | – | – | – | – |
州選手権 | 3 | 44 | 2 | 0 | ||
合計 | 3 | 44 | 2 | 0 |
イタリック斜体は、2024年3月27日現在の記録。 ※ シーズン欄の年齢は、12月31日時点の年齢です。
<代表(世代別含む)経歴>
N/A
<プレースタイル、エピソード、雑感 etc.>
利き足は両足。 身長178㎝、体重67kg。(サッカーサイト「oGol」2024年3月26日参照) 主なポジションは左右のウィング。
手足が長く細身のシルエット、ストライドは大きいが、足元は非常に器用で、育成カテゴリーの試合中にはイラスチコやヒールリフトでディフェンダーをかわし、足裏や踵を使った背後へのパスを通す場面がしばしば見られた。
手足の長さゆえに傍目にドリブルにスピード感はないが、上体を大きく使ったフェイントやまたぎを使ってディフェンダーの重心をずらすドリブル、メイア・ルア(ドリブルでディフェンダーの横を縦にボールを軽く蹴り出し、自身は相手選手の逆側を通り抜き去るプレー)、股抜きなどを得意とし、これらのプレーで次々とディフェンダーを置き去りにする。
セットプレーでキッカーを任されることもある正確なキックは、流れの中でも大きくサイドを変えるパスや、浅い位置から最終ラインとGKとの間に送るクロス、ゴールライン際からゴール前へ送られるクロスでも見ることができる。
ペナルティエリア近辺では、左右いずれのサイドでプレーした場合も、両足から精度の高いパスや強烈なシュートを繰り出すことができ、ドリブルを含め、豊富な選択肢がディフェンダーにとって大きな脅威となる。
デビュー戦では滑稽な姿に注目が集まり、その姿は日本語のサッカーメディアでも取り上げられていた。しかし、このプレーは、その前段階として、ペナルティエリアに侵入したヤルレンに送られたボールが少し長くなり、1人目のディフェンダーとデュエル(争奪戦)となったところで相手に体を当て競り勝ち、さらに流れたボールに軽く触れ2人目のディフェンダーの股を抜く、というヤルレンのプレーがあった。
そこには、ペナルティエリア内でボールを受けることができる位置にポジションを取ったこと、課題の線の細さがカバーされた体幹の強さ、才能がなせる瞬時の閃き、の3つの要素が織り込まれていた。
デビュー戦の僅かな時間で、課題を克服しつつある努力と成長力、そして天性の才能を披露。次の試合では左足による強烈なミドルシュートでプロ初ゴールを決め、自身3試合目ではペナルティエリア右隅から右足を振り抜くゴール。僅か3試合44分間の出場で、左右の足から各1ゴールをマーク。これからのさらなる成長が非常に楽しみな選手。
2024年のボタフォゴは絶対的なストライカーや、途中交代で結果を残しレギュラーの座を虎視眈々と狙う控え選手、育成出身の複数の将来有望な選手がトップチームでしのぎを削っている。ヤルレンには今後も一回一回の出場機会を大事にし、自身の才能や努力の結晶をプレーで表現し、一試合、一分でも多くの出場時間を記録してもらいたい。