〖世代別代表選手 現在地〗2016リオ五輪U-23 <監督&CB> 

投稿者: | 2024年7月9日
2024/07/09 新規投稿

過去の各育成カテゴリー「W杯」「南米選手権」等の国際大会におけるブラジル代表の成績、および、代表選手のその前後の経歴や、投稿日現在の状況を追いかけてみたいと思います。成績等のデータは、サッカーサイト「oGol」を中心に「Wikipedia」などを参照しています。

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【2016年リオ五輪U-23 代表監督&選手の道のり】

<監督>

ホジェリオ・ミカリ(Rogério Micale)

– 大会前
   1969年3月28日ブラジル連邦共和国バイーア州サウヴァドール(Salvador)に生まれたホジェリオ・ミカリことマリオ・ホジェリオ・ヘイス・ミカリ(Mário Rogério Reis Micale)は、ゴールキーパーとして、1990年に全国選手権3部ロンドリーナECにてトップチームに昇格する。しかし、一時的に所属したパラナ州選手権下位リーグのアプカラーナも含め、出場機会を迎えることなく、1992年に23歳でプロサッカー選手の道を断念する。
   現役を引退後、パラナ州ロンドリーナ市内にサッカースクールを開設し、それと同時に指導者の道を歩み始める。1999年30歳の時にパラナ州選手権下位リーグのポルトゲーザ・ロンドリーナのU-20チームの監督に就任。その後、現役を過ごしたロンドリーナなど複数のクラブのU-20チームを遍歴し、2005年(36歳)にトップチームが全国選手権1部に参戦するフィゲイレンセのU-20チームの監督に就任する。
   フィゲイレンセU-20監督就任一年目の、2005年7~8月に開催された36チーム参加のU-20全国大会カップ戦BHカップにて準々決勝に進出。前年のグループラウンドの敗戦から大きく躍進する。
   2006年にU-20サンタカタリーナ州選手権に優勝を飾ると、BHカップでは前年を上回る準決勝に進出。
   2007年はU-20サンタカタリーナ州選手権を連覇。BHカップは前年成績を下回るベスト16敗退となったが、グループラウンドを突破。
   2008年1月、U-20全国大会カップ戦のコパ・サンパウロ(参加チーム数88)にて優勝を飾る。
   2009年(40歳)、ミナスジェライス州ベロオリゾンテに本拠を置く名門アトレチコ・ミネイロU-20チーム監督に就任。すると、2010年、2012年にU-20州選手権を制覇。
   2009年、2011年には、BHカップ優勝。
   2011年、2012年には、オランダにて開催されたU-20国際親善大会で連覇。
   2013~15年は、タイトルこそ獲得できなかったものの、新設されたU-20コパ・ド・ブラジルやU-20全国選手権の両大会で上位進出を果たす。
   2015年(46歳)、U-20およびU-23ブラジル代表監督に就任。
   2015年5~6月に開催されたU-20W杯でチームを率いると、決勝は延長戦の末、1-2でセルビアに敗れたものの、準優勝の成績を収める。
   2015年7月開催パンアメリカン競技大会でU-22チームを率いて3位の成績を収め、2016年自国開催のリオ五輪に照準を合わせる。
– 大会後
   自国開催の2016年リオ五輪では、男子サッカー競技にてブラジルに史上初の金メダルをもたらす。
   しかし、2017年1月開幕のU-20南米ユース選手権では、予選ラウンドを勝点、得失点差で並び、総得点により辛うじて3位の成績で決勝ラウンドへ駒を進めるが、決勝ラウンドでは1勝3分1敗の成績の5位。同年U-20W杯への出場を逃し、2017年2月20日にCBF(ブラジルサッカー連盟)との契約を満了する。
   2017年7月21日、アトレチコ・ミネイロのトップチーム監督に就任。しかし、コパ・ド・ブラジル、リベルタドーレスでの敗退などがあり、5勝3分5敗の成績を残し、僅か2か月強で解任。
   2018年3月、パラナ・クルービの監督に就任、パラナ州選手権グループラウンド終盤に4勝1分の成績を収め、チームは決勝ラウンドに進出するが、準決勝にて敗退。全国選手権が開幕すると、計算通りに勝点を積み重ねることができず、3勝5分10敗勝点14、最下位の成績で解任。
   2018年9月、全国選手権2部フィゲイレンセ監督に就任し、最終節まで指揮を執り、1勝5分6敗の成績でチームは15位でシーズンを終了。その後間もなく、クラブ、監督両者合意の上、契約が解除された。
   2020年11月、全国選手権2部パラナ・クルービ監督に再就任するが、1分5敗の成績により一か月で解任。
   2021年アル・ヒラル/KSAのU-18チーム監督に就任し、2月にトップチーム監督に就任するが、8勝1分4敗の成績で4月末に解任。
   2021年10月、アル・ダフラ/UAEの監督に就任するが、4勝5分10敗の成績で2022年3月に解任。
   2022年8月、エジプトU-23代表監督に就任。2023年6月に開幕したU-23アフリカネーションズカップにてモロッコの次ぐ準優勝の成績を収め、2大会連続で2024パリ五輪出場権を獲得。契約は2024年パリ五輪終了まで。
   エジプトでは、リヴァプール所属FWモハメド・サラー(Mohamed Salah, 1992)のオーバーエイジでの五輪出場が待望されており、ミカリ監督は車を運転している道すがらの交差点でもサラーの招集について要望されることがあるという。監督も当然のようにサラーの招集を期待しているが、それはエジプトサッカー連盟と所属先リヴァプールとの交渉次第。しかし、監督は、サラーが出場することになれば、2016年にFWネイマールがオーバーエイジでリオ五輪に出場し、ブラジルU-23代表に金メダルをもたらしたように、サラーのプレーがチームに大きな影響がもたらせるものと確信している。
   2016年リオ五輪にてブラジルに史上初の五輪金メダルをもたらす快挙を成し遂げたが、その後は決して期待された実績を残せていないホジェリオ・ミカリ監督だが、2024年7月にはエジプトU-23代表を率い再び五輪の舞台に帰ってくる。
   エジプトの五輪での最高位は1964年東京五輪での4位。パリ五輪ではその成績を上回る表彰台が当面の目標となるだろう。その目標を叶えるためには、FWモハメド・サラーの招集だけでなく、ホジェリオ・ミカリ監督の五輪の舞台での経験が一助となるに違いない。

<CB>

ホドリゴ・カイオ(Rodrigo Caio, 1993/8/17)

– 大会前
   ホドリゴ・カイオこと、ホドリゴ・カイオ・コケッチ・フーソ(Rodrigo Caio Coquette Russo)は、ブラジル連邦共和国サンパウロ州内陸部のドゥラセナ(Dracena)市に生まれる。
   2006年に12歳でサンパウロFC下部組織に入団。1年上にVOLカゼミロ(Casemiro, 1992, ブラジル代表75試合7得点)やFWルーカス・モウラ(Lucas Moura, 1992, ブラジル代表35試合4得点)、1年下にFWアデミウソン(Ademilson, 1994, 2016‐20年ガンバ大阪/JPN)が在籍し、2007、2008年にU-15サンパウロ州選手権連覇、2007年ナイキ杯(U-15)に主力として優勝。さらには、16歳で出場した2010年U-18全国大会カップ戦に優勝。育成カテゴリーでは、公式戦でハットトリックをマークするなど、早くから俊敏性や空中戦の強さ、先を読んだプレーが注目を集め、クラブ内だけでなく全国レベルで将来を嘱望される。
   2011年1月に開催されたU-18全国大会カップ戦閉幕後に、17歳にしてトップチームに昇格。
   6月26日全国選手権第6節コリンチャンス戦にて先発に抜擢されプロデビュー。17歳で迎えたプロ一年目はセンターバックという経験や体格が重要な要素を締めるポジションで8試合439分間の出場を果たす。
   2012年は本職のセンターバックを中心としながらも、右サイドバックのレギュラー選手のケガにより、一時的に同ポジションでプレーするなど20試合に出場(2アシスト)。
   6月には、U-20代表として自身初の世代別代表への招集を受け、アルゼンチン、チリ、ウルグアイとの国際親善大会に出場する。
   2013年(年初19歳)、1月開幕のサンパウロ州選手権では、センターバックのレギュラー陣にケガが相次ぎ、ホドリゴ・カイオは多くの試合に出場を果たす。3月20日州選手権では、後半38分、右サイドからのクロスボールにファーサイドで滞空時間の長いジャンプによるヘディングシュート。この試合の決勝点、そして、プロ初ゴールをマーク。
   5月26日全国選手権開幕節にてスリーバックの一角として先発に起用されると、そのままポジションに定着。その後、同ポジションの補強や監督交代などがあったものの、シーズン最後までレギュラーの座を明け渡さず、全国選手権の36試合に出場。8月にはスルガ銀行チャンピオンシップ2013出場のため来日し鹿島アントラーズ/JPNと対戦(試合は2-3の敗戦)。この年は年間58試合4得点3アシストを記録した。
   2014年は1月の州選手権からセンターバックの不動のレギュラーとして活躍。
   6月にはボランチとしてU-21代表に招集され、トゥーロン国際大会5試合に出場し2得点を記録。チームは同大会に優勝。この大会の活躍は英紙「デイリーメール」にて、”カカー(Kaká, 1982)のような風貌をし、ドゥンガ(Dunga, 1963)のようにプレーする”と評された。
   同大会から帰国し、W杯による中断期間を終え、7月16日に再開した全国選手権ではセンターバックのレギュラーとして好調なチームを最終ラインから牽引する。ところが、8月2日全国選手権第13節クリシウーマ戦にて後半18分に負傷退場。左膝前十字靭帯断裂により戦列離脱を余儀なくされる。
   2015年3月に戦列に復帰を果たすと7月にはレギュラーの座を取り戻し、U-23代表としても4試合の親善試合に出場。
   2016年はサンパウロFCにてセンターバックの不動のレギュラーとして活躍。
   5月5日には2016コパ・アメリカ・センテナリオ代表として自身初のフル代表への招集が発表。5月29日パナマとの親善試合にて後半34分にピッチに送り出され、22歳での代表デビューを飾る。
   コパ・アメリカでは出場機会は訪れなかったものの、帰国後はサンパウロで連戦に出場し、2016リオ五輪を迎える。
– 大会
   リオ五輪は全6試合に出場。準決勝では4-0とリードをひろげた後半13分にベンチに退いたものの、決勝戦での延長戦120分を含め、計538分間の出場。ブラジル代表は6試合で失点数は僅かに「1」。センターバックとして金メダルへ多大な貢献を果たした。
– 大会後
   五輪終了後にサンパウロFCに戻ると、再びレギュラーとして活躍。2016年シーズンはクラブで46試合に出場。
   2017年もレギュラーとして52試合に出場。さらには、フル代表として1月コロンビア戦、6月オーストラリア戦の国際親善試合2試合にフル出場。9月の2018W杯南米予選第17節コロンビア戦では途中交代出場を果たす。
   2018年(年初25歳)も絶対的なレギュラーとして、そして、同年に開催されるW杯代表招集の期待も膨らみシーズンを迎える。しかし、4月に膝にケガを負いチームを離脱。W杯代表も選外となりリザーブメンバーとしての登録に止まる。さらには、W杯による中断後に戦列に復帰を果たすが、監督交代もありチーム内のセンターバックとしての序列は最下位となり、試合への出場機会はサイドバックとしての僅かな時間に限られる。
   数々の不運が重なる中フラストレーションが溜まり、監督交代時に前監督の批判を行いクラブとの関係が悪化。シーズン終了後には、両者合意の上契約が解除される。
   フリーとなったホドリゴ・カイオは、とある欧州ビッグクラブとメディカルチェックを受けるまで入団交渉が進展するが結局は破談。
   2018年12月29日フラメンゴとの5年間の契約が発表される。
   2019年新天地フラメンゴにて再びチームの中心として活躍。2013年の58試合をしのぐキャリアハイの60試合に出場し5得点を記録。主力メンバーとしてリベルタドーレスと全国選手権のタイトルを獲得。これらは自身初の国際タイトル、全国タイトルとなった。
   しかし、2020年は膝を中心とした相次ぐケガのため32試合の出場に止まり、2021年もケガにより2か月間の離脱を経験。ケガを恐れるあまりプレーの強度が低下するなど、本来のパフォーマンスを発揮できずに、32試合の出場に終わる。さらに2021年は、ホドリゴ・カイオが先発したコパ・ド・ブラジル準決勝、リベルタドーレス決勝でチームは敗退。サポーターの批判が拡がり、クラブもセンターバックの補強を模索し始める。
   2022年は、1月に右膝の古傷に再びメスを入れ、7月には左膝の異常で戦列を離脱、9月に再手術を受け、そのままシーズンが終了。試合出場数は僅か12試合に止まる。
   2023年はケガに悩まされることはなくなったものの、センターバックとしての序列は4番手にまで下がり、ベンチを温める試合が続き、出場数は僅かに13試合。
   2023年末にフラメンゴとの契約は満了。フラメンゴでの5年間で150試合6得点1アシストを記録、自身初のタイトル獲得など11ものタイトルを獲得した一方で、2年目以降は慢性的なケガに苦しめられた。
   2024年6月3日、グレミオへの加入が発表された。契約期限は2024年12月31日。2021年フラメンゴ在籍時代の監督で、現グレミオ監督ヘナト・ポルタルーピ監督の強い要請を受けての加入となった。2023年12月以降試合から遠ざかっていたが、トレーニングを通じてコンディションを上げ、7月4日全国選手権第14節の後半28分に途中交代出場を果たし、グレミオでのデビューを飾った。
   サンパウロ時代には、審判の判定ミスにより相手選手に提示されたイエローカードを、ノーファールだと申告してカードの取り消しを促したことがある。ケガに悩まされる時期が長く続いたものの、まだ30歳。まずはグレミオでポジションを確保して契約を延長し、チームリーダーの一人として、若手選手の見本となり、これまでの経験をチームに落とし込んでもらいたい。

マルキーニョス(Marquinhos, 1994/5/14)

– 大会前
   マルキーニョスこと、マルコス・アオアス・コヘア(Marcos Aoás Corrêa)はブラジル連邦共和国サンパウロ州サンパウロ市生まれ。2002年8歳の時に地元の名門コリンチャンスの下部組織に入団。
   2011年3月にエクアドルにて開幕した南米U-17選手権代表に選出されると、同大会では全9試合にフルタイム出場を果たし、ブラジルU-17代表の優勝に貢献。
   2011年6月にメキシコで開幕したU-17W杯では、決勝ラウンド進出が決まっていたグループラウンド第3節を除く6試合にフルタイム出場。ブラジルU-17代表は4位の成績を残した。
   U-17W杯からクラブに戻ると、U-20チームに昇格し、レギュラーの座を獲得。
   2012年1月開催のU-18全国大会カップ戦で主力として優勝に貢献すると、大会終了後に17歳にしてトップチームに昇格。2月18日サンパウロ州選手権にて先発に抜擢されプロデビュー。州選手権8試合に出場した後、5月20日全国選手権開幕節に先発出場を果たす。
   当時のチチ(Tite)監督は「マルキーニョスは身長が183cmに過ぎず、体格も線が細く、空中戦やデュエルでは劣勢に回り、センターバックでプレーするには厳しい」とクラブ会長に話していた。
   2012年8月16日全国選手権第17節インテルナシオナウ戦にて、後半アディショナルタイムに左サイドバックとしてピッチに送り出されると、その試合がコリンチャンスでの最後の試合となった。
   2012年8月23日ローマ/ITAが18歳のマルキーニョスの獲得を発表。移籍金は150万ユーロ(現在レートで約2億2500万円)。
   ローマに入団するとズデネク・ゼーマン(Zdeněk Zeman)監督の4-3-3の布陣で最終ラインが高い位置を保ち攻撃の起点となる、イタリアでは珍しい、攻撃に重心を置いたサッカーに適応。特にビルドアップや鋭いパスの精度がイタリアを含めた欧州で注目を集めた。
   9月16日イタリアセリエA第3節にて後半30分に交代出場を果たしクラブデビューを飾ると、自身3試合目の10月7日第7節に先発出場。以降はポジションに定着し、セリエAは年間で26試合に出場。イタリア杯も準々決勝以降の試合に先発で出場、チームは準優勝の成績を収めた。
   2013年7月19日パリSGが19歳のマルキーニョスの獲得を発表。背番号は「5」。移籍金は約3150万ユーロ(現在レートで約53億6000万円)。
   9月17日チャンピオンズリーグにて先発に抜擢されクラブデビューを果たすと、後半41分、右CKにニアサイドで頭を合わせクラブ初ゴールを記録、これはマルキーニョスにとってのプロ初ゴールでもあった。
   2013年11月16日には、ルイス・フェリピ・スコラーリ(Luiz Felipe Scolari)監督率いるフル代表の国際親善試合ホンデュラス戦の後半27分にピッチに送り出され、19歳で代表デビューを果たす。
   2014年5月にはブラジルU-21代表としてトゥーロン国際大会に出場し5試合1得点を記録しチームの優勝に貢献。
   2014/15年、2015/16年は、パリSGにてレギュラーとして活躍。それぞれ42試合2得点、43試合2得点も成績を収め、チームの2年連続国内四冠達成に貢献。
   また、ブラジルフル代表としても、2015年に開催された2018W杯南米予選2試合、2015コパ・アメリカ1試合、2016コパ・アメリカ・センテナリオ2試合など、2013年11月の代表デビュー以降フル代表では11試合539分間の出場記録を残し、U-23オリンピック代表ではチームの中核選手に一人としてリオ五輪に臨む。
– 大会
   全6試合に先発出場。決勝戦の延長戦を含め、5試合でフルタイム出場を果たし、6試合1失点の堅守を支えた。また、準決勝ホンデュラス戦では右CKを押し込むゴール。決勝ドイツ戦ではPK戦の2番手のキッカーを務め見事に成功。攻守の活躍でブラジルの金メダル獲得に大きく貢献した。
– 大会後
   リオ五輪後もパリSG、ブラジル代表として第一線で活躍。
   <パリSG>
   2013/14年 : 32試合5得点1アシスト(チャンピオンズリーグ(以下CL)8試合3得点1アシスト、リーグ戦21試合3得点など)。チームは国内三冠。
   2014/15年 : 42試合2得点(CL7試合、リーグ戦25試合2得点など)。チームは国内四冠。
   2015/16年 : 43試合2得点(CL6試合、リーグ戦29試合1得点など)。チームは国内四冠。
--- リオ五輪 ---
   2016/17年 : 44試合4得点(CL8試合、リーグ戦29試合3得点など)。チームは国内三冠。
   2017/18年 : 41試合2得点3アシスト(CL8試合1アシスト、リーグ戦29試合2アシストなど)。チームは国内四冠。
   2018/19年 : 44試合4得点1アシスト(CL7試合1得点、リーグ戦30試合3得点1アシストなど)。チームは国内二冠。
   2019/20年 : 37試合6得点1アシスト(CL11試合2得点、リーグ戦19試合3得点1アシストなど)。チームは国内四冠。CL準優勝。
   2020/21年 : 40試合6得点1アシスト(CL10試合3得点、リーグ戦25試合3得点1アシストなど)。チームは国内二冠。
   2021/22年 : 40試合5得点1アシスト(CL8試合1アシスト、リーグ戦32試合5得点など)。チームはリーグアン優勝。
   2022/23年 : 44試合2得点(CL8試合、リーグ戦33試合2得点など)。チームは国内二冠。
   2023/24年 : 36試合3アシスト(CL10試合2アシスト、リーグ戦21試合1アシストなど)。チームは国内三冠。
   【通算(2023/24年全日程終了時点)】 : 443試合38得点11アシスト
   <代表>
   2013年 : 国際親善試合1試合。
   2014年 : 国際親善試合3試合。
   2015年 : 2015コパ・アメリカ1試合。2018W杯南米予選2試合。国際親善試合2試合。
   2016年 : 2016コパ・アメリカ2試合。
--- リオ五輪 ---
   2016年 : 2018W杯南米予選6試合。
   2017年 : 2018W杯南米予選6試合。国際親善試合1試合。
   2018年 : 2018W杯1試合。国際親善試合8試合1得点。
   2019年 : 2019コパ・アメリカ6試合1アシスト。国際親善試合8試合。
   2020年 : 2022W杯南米予選4試合1得点。
   2021年 : 2021コパ・アメリカ6試合1得点。2022W杯南米予選7試合1得点。国際親善試合4試合。
   2022年 : 2022W杯5試合。2022W杯南米予選3試合2アシスト。国際親善試合4試合1得点。
   2023年 : 2022W杯南米予選6試合1得点。国際親善試合2試合1得点。
   2024年 : 2024コパ・アメリカ4試合 (2024年7月8日現在)
   【通算(2024年7月8日現在)】 : 89試合(63勝18分8敗)7得点3アシスト
   2016年9月の2018W杯南米予選以降、2022W杯本戦まで、ブラジル代表はチチ監督が指揮。チチ監督はマルキーニョスがトップチームに昇格した際のコリンチャンスの監督。当時はセンターバックでのプレーは体格的に厳しいと評していたが、チチ政権下の代表でマルキーニョスはセンターバックとして66試合に出場している。

ルアン・ガルシア(Luan Garcia, 1993/5/10)

– 大会前
   ルアンこと、ルアン・ガルシア・テイシェイラ(Luan Garcia Teixeira)は、ヴァスコ・ダ・ガマ育成出身。2009年7月8日に16歳2か月でプロ契約を結ぶ。
   19歳の2012年7月にトップチームに昇格。9月5日全国選手権第22節ナウチコ戦後半17分にピッチに送り出され19歳のプロデビューを果たす。自身4試合目の9月27日全国選手権第27節フィゲイレンセ戦、ボランチとして先発に起用されると、前半34分、”フリーキックの魔術師”MFジュニーニョ・ペルナンブカーノ(Juninho Pernambucano, 1975)がPA入口でボールをキープする間に右サイドからPA内に駆け上がり、MFジュニーニョからスルーパスを受け右足を振り抜きプロ初ゴールをマークする。
   2013年1月アルゼンチンにて開幕したU-20南米ユース選手権代表に選出。予選グループラウンドの全4試合にフル出場。しかし、チームは1勝1分2敗の成績でグループ最下位で大会を終える。
   ヴァスコ・ダ・ガマでは、5月に始まった全国選手権にて開幕から6試合連続スタメン出場するものの、その6試合でチームは2度5失点を喫し、それを理由にルアンはレギュラーの座を追われ、CBの4番手の立ち位置となり試合から遠ざかる。
   2014年ヴァスコ・ダ・ガマは全国選手権2部での戦いとなるが、ルアンは前年の主力がチームを去ったこともあり、レギュラーの座を奪還。一時的に控えにまわる時期もあったが、全38試合のうち25試合に出場しチームの一年での1部復帰に貢献する。
   2015年はケガのために約2か月間チームを離れるが、その期間を除き、レギュラーとして活躍。
   2016年もレギュラーとして活躍。チームはリオデジャネイロ州選手権を優勝で飾り、ルアンが五輪のためチームを離れる第15節まで全国選手権2部で首位をキープ。ルアンは好調を維持してリオ五輪を迎える。
– 大会
   リオ五輪は、五輪を前にフル代表にも選出されていたマルキーニョス、ホドリゴ・カイオの両選手の控えに甘んじ、2試合39分の出場成績に終えた。
– 大会後
   五輪後もヴァスコ・ダ・ガマで主力メンバーとして試合を重ね、チームの一年での1部復帰に貢献。
   2017年1月19日チチ(Tite)監督によりフル代表への招集を受け、25日国際親善試合コロンビア戦にベンチ入り(出場機会なし)。
   4月5日パウメイラスへの移籍が発表。契約期間は4年。移籍金は1000万ブラジルレアル(2024年7月現在の為替レートで約3億円)。入団後に足の手術を受け、クラブデビューは6月18日全国選手権第8節まで遅れたものの、デビュー後はレギュラー争いに加わり、最終節までの31試合のうち19試合(うち先発16試合)に出場。チームの全国選手権2位の成績に貢献する。
   2018年以降は、複数の監督交代や数多くの補強がある中、常にレギュラー争いに加わり、2018年22試合(チームは全国選手権優勝)、2019年36試合(無冠)、2020年44試合(リベルタドーレス、全国選手権、州選手権の三冠)、2021年はキャリアハイの50試合(リベルタドーレス優勝)、2022年25試合(全国選手権、州選手権、ヘコパ・スウアメリカーナの三冠)、2023年41試合(全国選手権、州選手権、スーペルコパ・ド・ブラジルの三冠)。
   2024年パウメイラスでの成績は21試合1アシスト。パラグアイ代表グスタボ・ゴメス(Gustavo Gómez, 1993)、3月にブラジル代表に招集されたムリーロ(Murilo, 1997)に次ぐ3番手に評価され、スリーバック採用時にはその一角を占め、前述の2選手の離脱時にはしっかりと穴を埋めた。
   パウメイラスでは8年間プレー。260試合8得点6アシストを記録し、12個のタイトルを獲得。
   2024年6月初めにトルーカ/MEXからパウメイラスにオファーが届き、400万USドル(約6億円)の移籍金での移籍が決まった。
   トルーカでは、2024年7月6日、2024/25年前期リーグ(アペルトゥーラ)開幕節にて先発に抜擢され、フルタイム出場を果たし、無失点に抑えきる。今後もチームの主力の一人として活躍が期待されている。
   パウメイラス2006年生まれ世代の逸材CBヴィトル・ヘイス(Vitor Reis, 2006)は、目標とする選手の一人としてルアンの名を挙げている。常に冷静なプレー、試合での戦術眼、対角線や縦の楔のパスの精度をその根拠としている。

【2016年リオ五輪U-23 代表選手一覧】

「現所属※」欄は、2024年7月1日現在の所属クラブ。






















1GK/
GOL
ウェヴェルトン
Weverton
Weverton Pereira da Silva
アトレチコ・パラナエンセ
Athletico Paranaense
パウメイラス
Palmeiras
1987/12/13
Overage
657000
18GK/
GOL
ウィウソン
Uilson
Uilson Pedruzzi de Oliveira
アトレチコ・ミネイロ
Atlético Mineiro
引退
Aposentado
1994/4/280000
3CB/
ZAG
ホドリゴ・カイオ
Rodrigo Caio
Rodrigo Caio Coquette Russo
サンパウロ
Saõ Paulo
グレミオ
Grêmio
1993/8/17653800
4CB/
ZAG
マルキーニョス
Marquinhos
Marcos Aoás Corrêa
パリSG
Paris SG/FRA
パリSG
Paris SG/FRA
1994/5/14656310
14CB/
ZAG
ルアン・ガルシア
Luan Garcia
Luan Garcia Teixeira
ヴァスコ・ダ・ガマ
Vasco da Gama
トルーカ
Toluca/MEX
1993/5/1023900
2SB/
LAT
ゼカ
Zeca
José Carlos Cracco Neto
サントス
Santos
ミラソウ
Mirassol
1994/5/16655400
6SB/
LAT
ドウグラス・サントス
Douglas Santos
Douglas dos Santos Justino de Melo
ハンブルガー
Hamburger/GER
ゼニト
Zenit/RUS
1994/3/22
Overage
655401
13SB/
LAT
ウィリアン・フルタド
William Furtado
William de Asevedo Furtado
インテルナシオナウ
Internacional
クルゼイロ
Cruzeiro
1995/4/333200
5MF/
MEI
ヘナト・アウグスト
Renato Augusto
Renato Soares de Oliveira Augusto
北京国安
Beijing Guoan/CHN
フルミネンセ
Fluminense
1988/2/8
Overage
652300
8MF/
MEI
ハフィーニャ・アウカンタラ
Rafinha Alcântara
Rafael Alcântara do Nascimento
バルセロナ
Barcelona/ESP
無所属
Sem Clube
1993/2/1259700
12MF/
MEI
ワラシ・ソウザ
Walace Souza
Walace Souza Silva
ハンブルガー
Hamburger/GER
クルゼイロ
Cruzeiro
1995/4/4439000
15MF/
MEI
ホドリゴ・ドウラード
Rodrigo Dourado
Rodrigo Dourado Cunha
インテルナシオナウ
Internacional
アトレティコ・サン・ルイス
Atlético San Luis/MEX
1994/6/1711100
16MF/
MEI
チアゴ・マイア
Thiago Maia
Thiago Maia Alencar
サントス
Santos
インテルナシオナウ
Internacional
1997/3/23320300
7FW/
ATA
ルアン・ヴィエイラ
Luan Vieira
Luan Guilherme de Jesus Vieira
グレミオ
Grêmio
無所属
Sem Clube
1997/3/27646532
9FW/
ATA
ガブリエウ・バルボーザ
Gabriel Barbosa
Gabriel Barbosa Almeida
インテルナツィオナーレ
Internazionale/ITA
フラメンゴ
Flamengo
1996/8/30649720
10FW/
ATA
ネイマール
Neymar
Neymar da Silva Santos Júnior
バルセロナ
Barcelona/ESP
アル・ヒラル
Al Hilal/KSA
1992/2/5
Overage
657043
11FW/
ATA
ガブリエウ・ジェズス
Gabriel Jesus
Gabriel Fernando de Jesus
マンチェスターシティ
Manchester City/ENG
アーセナル
Arsenal/ENG
1997/4/3648730
17FW/
ATA
フェリピ・アンデルソン
Felipe Anderson
Felipe Anderson Pereira Gomes
ラツィオ
Lazio/ITA
パウメイラス
Palmeiras
1993/4/15417701
監督: ホジェリオ・ミカリ(Rogério Micale)

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