〖世代別代表選手 現在地〗2016リオ五輪U-23 <GK & SB> 

投稿者: | 2024年7月14日
2024/07/14 新規投稿

過去の各育成カテゴリー「W杯」「南米選手権」等の国際大会におけるブラジル代表の成績、および、代表選手のその前後の経歴や、投稿日現在の状況を追いかけてみたいと思います。成績等のデータは、サッカーサイト「oGol」を中心に「Wikipedia」などを参照しています。

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【2016年リオ五輪U-23 代表監督&選手の道のり】

<GK>

ウェヴェルトン(Weverton, 1987/12/13)

– 大会前
   ウェヴェルトンこと、ウェヴェルトン・ペレイラ・ダ・シウヴァ(Weverton Pereira da Silva)は、ブラジル連邦共和国北部、ペルーやボリビアと国境を接し、アマゾン熱帯雨林が大部分を占めるアクレ州の州都リオ・ブランコ(Rio Branco)に生まれる。
   地元のジュヴェントゥス-ACから出場した2006年(18歳)U-19全国大会カップ戦コリンチャンス戦にてマンオブザマッチに選出され、この活躍を機にコリンチャンスU-20チームに加入。
   2007年6月23日期限付き移籍先のヘモ(Remo)にて全国選手権2部第7節に先発に抜擢され19歳のプロデビューを果たす。2008年にコリンチャンスに復帰するものの、4番手の立ち位置に甘んじ試合への出場機会は訪れない。2009年は期限付き移籍にてサンパウロ州選手権下位リーグのオエスチで18試合、全国選手権2部のアメリカ-RNで16試合に出場するが、コリンチャンスとの契約は満了し、2010年はサンパウロ州選手権に所属するボタフォゴ-SPと契約する。
   ボタフォゴ-SPでは加入間もなくレギュラーの座を獲得。サンパウロ州選手権にてチームが準決勝に進出すると、7月の移籍期間に全国選手権2部のポルトゲーザへ完全移籍。2010年7月17日全国選手権2部第9節にてクラブデビューを果たすと、そのままポジションに定着。翌2011年にはチームの全国選手権2部優勝および1部昇格に多大な貢献を果たす。
   2012年、サンパウロ州選手権では正GKとしてゴールを守るが、クラブは5月25日に満了する契約を更改する姿勢を見せず、ウェヴェルトンは2012年5月19日全国選手権開幕節の自身初となる全国選手権1部の舞台を最後に、契約満了によりクラブを退団する。
   2012年6月当時全国選手権2部アトレチコ・パラナエンセと契約。6月16日全国選手権2部第6節で先発出場を果たすと、シーズン最後まで正守護神としてゴールマウスを守る。チームはコパ・ド・ブラジルで準々決勝に進出、全国選手権2部は3位に食い込み1部昇格を決める。
   2013年コパ・ド・ブラジルと全国選手権の全試合に出場し、アトレチコ・パラナエンセはコパ・ド・ブラジルで準優勝、全国選手権3位。
   2014年はチーム全63試合のうち45試合に出場。2015年はチーム全67試合のうち57試合に出場。2015年11月22日全国選手権第36節エスポルチ戦にてアトレチコ・パラナエンセでの200試合出場を達成する。
   2016年もアトレチコ・パラナエンセの不動の守護神として活躍。そして、自国開催のリオ五輪開幕直前にオーバーエイジ枠で代表に選出されていたパウメイラス所属GKフェルナンド・プラス(Fernando Prass, 1978)がケガを負い代表を離脱、急遽五輪代表選出の報を受ける。
– 大会
   28歳で迎えたリオ五輪。グループラウンドでは攻撃陣が自国開催の重圧のためか、なかなか得点を奪えない中、安定したプレーでゴールを守る。チームは、開幕節、第2節を0-0、そして、第3節にて4-0の勝利を収め、無失点で決勝ラウンドに進出。
   準々決勝2-0、準決勝6-0のスコアで無失点のまま決勝戦に駒を進めると、決勝戦後半14分に大会初失点を喫したものの、延長戦を戦い抜きPK戦に突入。PK戦は先攻のドイツ、後攻のブラジルが4人目まで成功。ドイツ5人目のPKをウェヴェルトンがストップ。ブラジル5人目がPKを成功しブラジルが金メダルを獲得した。
– 大会後
   2016年9月16日、2018W杯南米予選第9節、第10節に向けたチチ(Tite)監督率いる代表に招集(出場機会なし)。
   2017年1月19日に国際親善試合に向けた代表に再び招集。1月25日コロンビアとの試合に先発出場を果たし29歳での代表デビューを飾る。
   2017年6月9日にはアルゼンチンとの国際親善試合に先発出場。
   アトレチコ・パラナエンセでは、2016年、2017年も不動の守護神として活躍。しかし、半年の契約期間を残し、2018年を目前にパウメイラスへの完全移籍が決定。アトレチコ・パラナエンセでは、約5年半プレーし、303試合の出場記録を残す。
   2018年パウメイラス加入直後は、リオ五輪前にケガで代表離脱を余儀なくされたフェルナンド・プラス、ジャイウソン(Jaílson, 1981)とのポジション争いに一歩譲っていたものの、2018年7月19日全国選手権第13節サントス戦でスタメンに起用されると、そのままポジションに定着。7月29日から8月26日までの全国選手権6試合、コパ・ド・ブラジル2試合、リベルタドーレス1試合では、公式戦9試合連続無失点試合を達成する。
   この2018年は34試合に出場。パウメイラスは全国選手権制覇、リベルタドーレス、コパ・ド・ブラジルでは準決勝進出を果たした。
   2019年51試合、2020年66試合(リベルタドーレス優勝、コパ・ド・ブラジル優勝、サンパウロ州選手権優勝)、2021年50試合(リベルタドーレス優勝、4大会で準優勝)、2022年61試合(全国選手権優勝、ヘコパ・スウアメリカーナ優勝、州選手権優勝)、2023年68試合(全国選手権優勝、スーペルコパ・ド・ブラジル優勝、州選手権優勝)。2023年終了時点でパウメイラスにて329試合出場。数多くのタイトルを獲得。
   2024年は6月末現在でパウメイラスにて32試合に出場。
   代表では、3番手に甘んじる状況が続くが、2020年10月9日2022W杯南米予選開幕節に3年ぶりに出場すると、13日第2節にも出場。2021年コパ・アメリカではグループラウンド第3節に出場。2021年に2022W杯南米予選2試合に出場し、2022W杯本戦ではベスト16韓国戦にて交代出場から10分間のプレー。
   2024年6月末現在、フル代表では10試合820分の出場記録を残している。

ウィウソン(Uilson, 1994/4/28)

– 大会前
   ウィウソンこと、ウィウソン・ペドルッツィ・デ・オリヴェイラ(Uilson Pedruzzi de Oliveira)は、ブラジル連邦共和国ミナスジェライス州の東端、バイーア州、エスピリトサント州との州境の町ナヌーキ(Nanuque)に生まれる
   2005年(11歳)に地元から600km離れた州都ベロオリゾンテに本拠を置くアトレチコ・ミネイロに入団。俊敏性が際立つゴールキーパーとして将来を嘱望される。
   2011年3月(16歳)にエクアドル開催の南米U-17選手権代表に選出されると、グループラウンド開幕節と第2節に出場しチームは2連勝。その後の試合では出場機会は訪れなかったが、ブラジルU-17代表はその勢いのまま優勝を飾る。
   2011年6月メキシコにて開幕したU-17W杯代表に選出。しかし、同大会では出場機会は訪れず、ブラジルU-17代表は4位で大会を終えた。
   2014年10月25日(20歳)全国選手権第31節エスポルチ戦、後半8分に、同年W杯代表のGKヴィクトル(Victor, 1983)の退場を受けピッチに送り出されプロデビューを果たす。12月7日最終節ボタフォゴ戦ではプロ初のスタメンに抜擢され2014年シーズンを終える。
   2015年、GKヴィクトルの壁は厚く、第2ゴールキーパーの座を争うがアトレチコ・ミネイロでは出場機会は訪れず、ピッチに立ったのはU-23代表として出場した国際親善試合アメリカ戦の1試合のみ。
   2016年3月GKヴィクトルのケガによる離脱により4試合に出場。しかし、2試合目のクラシコとなるクルゼイロ戦では、自身の手前でバウンドする難しいミドルシュートを弾き返したものの、ボールは相手選手に渡り、失点を喫し0-1の敗戦。4試合目のリベルタドーレスでチームは2-3の敗戦。監督の信頼を得ることができず、その後は5月14日全国選手権開幕節にて1試合スタメン出場にとどまる。
   6月29日ブラジル五輪代表招集メンバー18選手が発表。オーバーエイジ枠フェルナンド・プラス(Fernando Prass, 1978)とともにゴールキーパーとして招集を受ける。
– 大会
   五輪初戦を5日後に控えた2016年7月31日、日本との練習試合にケガのフェルナンド・プラスに代わり先発出場。試合はブラジルが2-0の勝利を収め、五輪本番を迎える。
   しかし、日本との練習試合が開催された7月31日の晩、ブラジルサッカー連盟はGKフェルナンド・プラスの離脱およびGKウェヴェルトンの追加招集を発表。ウィウソンは第2ゴールキーパーとして五輪に臨むが、出場機会は訪れず、金メダルを胸に五輪は閉幕する。
– 大会後
   リオ五輪が終わり、アトレチコ・ミネイロに戻ると、凱旋試合となった8月24日コパ・ド・ブラジルベスト16ポンチプレッタ戦1stレグにて先発出場。続く8月28日全国選手権第22節グレミオ戦にも連続出場を果たす。しかし、以降は控えに甘んじる。
   2017年1月アメリカで開催された6か国12チームが参加した国際親善大会にて最優秀選手賞を受賞し、この年の飛躍が大きく期待された。しかし、第2ゴールキーパーの座を争う立場は変わらず、ベンチを温める試合が続き、2017年の試合出場も僅かに2試合のみ。11月にはトレーニング中に右膝前十字靭帯断裂の重傷を負う。
   膝は手術を経て一度は回復に向かうものの再発。計4度もの手術を受け、受傷から23か月を経た2019年10月にチーム練習に合流するための移行トレーニング期間が始まる。しかし、2020年1月にアトレチコ・ミネイロとの契約が満了する。
   2020年1月ミナスジェライス州選手権にのみ所属するコインブラ-MGに加入。しかし、出場機会は訪れず、2020年末に退団。
   2024年6月現在(30歳)、ミナスジェライス州でゴールキーパー専門のスクールを開校している。

<SB>

ゼカ(Zeca, 1994/5/16)

– 大会前
   ゼカこと、ジョゼ・カルロス・クラッコ・ネット(José Carlos Cracco Neto)は、2006年に11歳でサントス下部組織に入団。右サイドバックが本職ながら左サイドバックとしてもプレーする。
   2014年3月9日サンパウロ州選手権にて後半39分にピッチに立ち、19歳のプロデビューを果たす。デビュー年は全国選手権15試合(うち先発9試合)出場など計18試合に出場。
   2015年序盤は出場機会に恵まれなかったが、7月9日にドリヴァウ・ジュニオール(Dorival Júnior)氏が監督に就任すると、7月11日全国選手権第13節に先発に抜擢され、そのままポジションに定着。コパ・ド・ブラジルでの準優勝に貢献する。
   2016年は序盤からレギュラーとして活躍。1月~5月に開催されたサンパウロ州選手権でチームは優勝。全国選手権では開幕から連戦に先発出場を果たす。6月12日第7節サンタ・クルス戦にて前半45分に縦に入れたパスの戻りをペナルティサークル手前からダイレクトボレー。縦回転のボールがGKの頭上を越えて落ちるゴラッソ。デビュー2年を経て22歳でプロ初ゴールを決めた。
   さらに6月29日にもゴールを決め、絶好調な状態でリオ五輪に突入する。
– 大会
   リオ五輪は、全6試合に先発出場。決勝戦での延長戦を含め5試合でフル出場を果たし金メダルを獲得。
– 大会後
   サントスに戻った後も、引き続きレギュラーとして活躍。全国選手権は五輪のため6試合に欠場したものの、31試合に出場するなど、年間で53試合に出場。チームの全国選手権2位の好成績にも貢献した。
   2017年も引き続き主力の一人としてシーズンに突入。全国選手権開幕後にケガを負い、約2か月チームを離脱し14試合に欠場。復帰後もレギュラーとして試合に出場するが、10月に空港でサポーターともめ事、さらにはサントスを相手どり給料遅配で訴訟を起こし、クラブと関係が悪化。10月22日全国選手権第30節がサントスでの最後の試合となった。
   2018年4月19日、FWエドゥアルド・サーシャ(Eduardo Sasha, 1992)とのトレードの形でインテルナシオナウに入団。5月12日全国選手権第5節でクラブデビューを果たしポジションに定着したが、10月に入ると控えにまわる試合が続く。
   2019年はシーズン開幕からレギュラーの奪還。しかし、シーズン半ばを過ぎると控えにまわる試合が増え、リベルタドーレス決勝ラウンドや、コパ・ド・ブラジル準決勝、決勝では出番がなく、さらには、ケガを負い全国選手権第30節を前に戦列を離脱しシーズンを終える。
   2020年1月、SBモイゼス(Moisés, 1995, 2024年6月現在CSKAモスクワ/RUS)とのトレードでバイーアへ期限付き移籍。しかし、右SBニノ・パライーバ(Nino Paraíba, 1986)や左ジュニーニョ・カピシャバ(Juninho Capixaba, 1997, 2024年6月現在RBブラガンチーノ)の控えに回り年間の試合出場数は19試合(うち先発9試合)に止まり、バイーアとの期限付き移籍契約、およびインテルナシオナウとの契約が満了。
   2021年3月全国選手権2部ヴァスコ・ダ・ガマと1年契約。全国選手権2部29試合など主力として年間46試合に出場するが、チームは10位に終わり、契約は更改されずクラブを去る。
   2022年2月10日ヒューストン・ダイナモ/USAと2年契約+1年の延長オプション付きの契約を結ぶ。チーム全37試合のうち21試合に出場するが、チームはレギュラーシーズン西地区を14チーム中13位の成績で終え、オプションは行使されず、1年で退団。
   2023年は全国選手権3部から2部に再昇格を果たしたヴィトーリアと1年契約。全国選手権2部では、2度に渡るケガのために計2か月チームを離脱する時期もあったが、キャプテンとして、チームの全国選手権2部優勝と1部昇格に貢献。
   2024年1月10日にはチームの主軸として期待され契約が更新される。
   2024年もキャプテンとしてチームを牽引し、1月に開幕したバイーア州選手では決勝でECバイーアを下しチームを優勝に導く。
   しかし、チームは4月に開幕した全国選手権では1引分けを挟み5連敗。キャプテンのゼカはサポーターからSNSなどで激しい誹謗中傷を受ける。最後の試合となる5月22日コパ・ド・ブラジル三回戦ボタフォゴ戦2ndレグでは途中交代が告げられると、多くの罵声やブーイングを浴び、打ちのめされた様子でベンチに退く。
   2024年5月24日、ヴィトーリアはゼカと両者合意による契約解除の発表。その理由は公表されていない。

ドウグラス・サントス(Douglas Santos, 1994/3/22)

– 大会前
   ドウグラス・サントスこと、ドウグラス・ドス・サントス・ジュスチーノ・デ・メロ(Douglas dos Santos Justino de Melo)はブラジル北東部パライバ州ジョアン・ペッソア(João Pessoa)出身。地元のクラブCSPでフットサルを始め、一時は大腿骨骨折のためプロサッカー選手の夢を諦めかけるが、2011年に地元から約120km離れた当時全国選手権2部ナウチコの下部組織に入団し、夢を追いかける。
   2012年2月1日ペルナンブカーノ州選手権第6節にて左SBとして先発に抜擢され17歳にしてプロデビューを果たし、自身3試合目の2月26日第12節にてプロ初ゴールをマーク。その後しばらくは出場機会に恵まれないが、8月5日全国選手権第14節にて先発に抜擢されると、そのままレギュラーの座を獲得。17歳で迎えたプロ一年目を全国選手権22試合など26試合(うち先発24試合)2得点1アシストの成績を残す。
   2013年1月アルゼンチンで開幕したU-20南米ユース選手権代表に選出(出場機会なし)。
   2013年4月6日ルイス・フェリピ・スコラーリ監督率いるフル代表の親善試合ボリビア戦に19歳ながらベンチ入りを果たす(出場機会なし)。
   ナウチコでもレギュラーとして活躍しながら、2013年5月にはトゥーロン国際大会U-20代表として4試合に出場、チームの大会優勝に貢献する。
   2013年7月8日グラナダ/ESPへの移籍が発表される。
   2013年9月2日ウディネーゼ/ITAがドウグラス・サントスの獲得を発表。9月21日セリエA第4節にベンチ入りを果たすが、クラブデビューは12月21日第17節。その後も出場機会に恵まれず、2013/14年は計3試合の出場にとどまり、シーズンを終える。
   2014年8月アトレチコ・ミネイロへ期限付き移籍。9月下旬に定位置を獲得すると、11月にはコパ・ド・ブラジル決勝戦H&Aの2試合で先発出場を果たし、チームのコパ・ド・ブラジル制覇に貢献。
   2015年7月20日アトレチコ・ミネイロは買取オプションを行使。4年間の契約を締結する。
   U-23代表として、2015年3月27日パラグアイ戦に出場。
   フル代表としては、出場機会はなかったものの、国際親善試合9月5日コスタリカ戦、8日アメリカ戦、2018W杯南米予選第3節アルゼンチン戦にベンチ入り。
   2016年もアトレチコ・ミネイロの主力として活躍。2016コパ・アメリカに出場。リオ五輪を目前に控えた7月18日全国選手権第15節コリチバ戦でアトレチコ・ミネイロでの100試合出場を達成し、リオ五輪を迎える。
– 大会
   リオ五輪は全6試合554分の出場時間、2アシストを記録。
   開幕2試合を2引き分けに終え必勝を期して臨んだ予選グループラウンド第3節デンマーク戦、前半26分にPA左手前からゴール前にグラウンダーのクロスを送りFWガブリエウ・バルボーザ(Gabriel Barbosa, 1996)の先制ゴールをアシスト。後半5分、PA左入口から斜めに上がりFWネイマール(Neymar, 1991)のパスを受けると、ゴールライン手前からゴール前中央へボールを戻しMFルアン(Luan, 1993)のチーム3点目のゴールをアシスト。
– 大会後
   2016年8月31日(22歳)ハンブルガーSVと5年間の契約が発表される。9月17日ブンデスリーガ第3節にてクラブデビュー。そのままポジションに定着するが、チームの低迷もあり2019年2月には控えにまわり、年間22試合の成績に止まる。
   2017/18年は28試合1得点1アシスト、2018/19年は38試合2得点5アシスト。
   2019年7月4日(25歳)ゼニト/RUSが1500万ユーロ(2024年6月為替レートで約25億6000万円)の移籍金にて5年間の契約締結を発表。ゼニトでは入団直後にポジションを獲得し、不動のレギュラーとして君臨。加入前シーズンから続くチームのロシアプレミアリーグ6連覇に貢献。2023/24年終了時点で11ものクラブタイトルを獲得。
   2023/24年、ドウグラス・サントスはチームキャプテンとしてリーグ制覇に貢献するとともに、最優秀守備選手の個人タイトルも獲得。ゼニトとの契約は2026年6月まで延長されている。

ウィリアン・フルタド(William Furtado, 1995/4/3)

– 大会前
   リオグランデドスル州ペロッタス(Pelotas)出身のウィリアン・フルタドこと、ウィリアン・デ・アゼヴェード・フルタド(William de Asevedo Furtado)は、同州内ジュヴェントゥージ育成を経て、インテルナシオナウ育成に加入。育成期間にポジションを中盤からサイドバックに転向する。
   2013年U-20全国選手権、2014年U-20コパ・ド・ブラジルにて主力メンバーとして優勝を収めると、2014年にトップチームに昇格。
   2015年左右のサイドバックのレギュラーが相次いでケガで戦列を離脱したことにより、2015年3月15日リオグランデドスル州選手権第11節にて右サイドバックとして先発に抜擢され19歳のプロデビューを飾る。すると、これを機にポジションに定着。リベルタドーレス6試合、全国選手権29試合など、プロデビュー一年目で年間47試合の出場を記録する。
   2016年はシーズン当初からレギュラーとして活躍。飛ぶ鳥を落とす勢いでリオ五輪代表の座を獲得する。
– 大会
   リオ五輪は、グループラウンド3試合に、サイドバックとして左右にかかわらず途中交代出場を果たし、計32分の出場記録を残す。
– 大会後
   大会終了後も、インテルナシオナウでは主力として活躍し、2016年は51試合1得点4アシスト。
   2017年リオグランデドスル州選手権終了後の5月にヴォルフスブルク/GERへの移籍が内定。インテルナシオナウでの最後の試合となった5月31日コパ・ド・ブラジル三回戦パウメイラス戦2ndレグではスタメン出場を果たし、勝利で締めくくる。
   2017年9月9日ブンデスリーガ第3節にて先発に抜擢されクラブデビュー(22歳)。10月、11月の2か月をケガのため戦列を離れたものの、復帰後はコンスタントに試合に出場し、2018年2月以降はスタメンに定着する。
   2018/19年は、チーム全37試合のうち33試合(うち先発32試合)に出場。2018年12月23日ブンデスリーガ第17節、前半41分、ペナルティエリア右寄り入口で前方からボールを送られると、トラップで中央に切れ込み左足のシュート。クラブ初ゴールをマーク。このシーズンはチームもブンデスリーガにて前年の16位から6位に躍進、ウィリアン・フルタドは主力としてチームに貢献する。
   2019/20年もレギュラーとして活躍。しかし、2020年2月8日第21節の試合中に膝にケガを負い、残りのシーズンを棒に振る。
   2020年12月11日第11節に1分間の出場を果たし10か月振りの復帰を果たすが、コンディションは以前の状態に戻らず、2021年1月25日にシャルケ04/GERへの期限付き移籍が発表される。
   ヴォルフスブルクでの通算成績は83試合5得点5アシスト。
   シャルケ04では、2021年1月31日のクラブデビューを果たし、以降、9試合に連続出場するが、3月20日の試合中に再び膝にケガを負う。その後は試合に出場することなくシーズンは終了し、シャルケ04との期限付き移籍契約およびヴォルフスブルクとの契約が満了。
   2022年12月クルゼイロと2023年末までの単年契約を締結。一年半ぶりにピッチに立つ機会を得る。
   ブランクが長く、万全な状態にコンディションはなかなか戻らず、全国選手権開幕前は4試合に出場するのみにとどまった。しかし、コンディションが上がると、攻撃的な左SBマルロン(Marlon, 1997)と攻守にバランスを取ったプレーが評価され、全国選手権では33試合(うち先発31試合)など年間40試合の出場し1得点4アシストの記録を残した。
   また、シーズン終了後には、2026年末まで契約が延長された。
   2024年7月1日現在、チーム全31試合のすべての試合(うち先発29試合)に出場。本来の攻撃的なセンスも発揮し、3得点8アシストと得点関与数が前年を大きく上回っている。

【2016年リオ五輪U-23 代表選手一覧】

「現所属※」欄は、2024年7月1日現在の所属クラブ。






















1GK/
GOL
ウェヴェルトン
Weverton
Weverton Pereira da Silva
アトレチコ・パラナエンセ
Athletico Paranaense
パウメイラス
Palmeiras
1987/12/13
Overage
657000
18GK/
GOL
ウィウソン
Uilson
Uilson Pedruzzi de Oliveira
アトレチコ・ミネイロ
Atlético Mineiro
引退
Aposentado
1994/4/280000
3CB/
ZAG
ホドリゴ・カイオ
Rodrigo Caio
Rodrigo Caio Coquette Russo
サンパウロ
Saõ Paulo
グレミオ
Grêmio
1993/8/17653800
4CB/
ZAG
マルキーニョス
Marquinhos
Marcos Aoás Corrêa
パリSG
Paris SG/FRA
パリSG
Paris SG/FRA
1994/5/14656310
14CB/
ZAG
ルアン・ガルシア
Luan Garcia
Luan Garcia Teixeira
ヴァスコ・ダ・ガマ
Vasco da Gama
トルーカ
Toluca/MEX
1993/5/1023900
2SB/
LAT
ゼカ
Zeca
José Carlos Cracco Neto
サントス
Santos
ミラソウ
Mirassol
1994/5/16655400
6SB/
LAT
ドウグラス・サントス
Douglas Santos
Douglas dos Santos Justino de Melo
ハンブルガー
Hamburger/GER
ゼニト
Zenit/RUS
1994/3/22
Overage
655401
13SB/
LAT
ウィリアン・フルタド
William Furtado
William de Asevedo Furtado
インテルナシオナウ
Internacional
クルゼイロ
Cruzeiro
1995/4/333200
5MF/
MEI
ヘナト・アウグスト
Renato Augusto
Renato Soares de Oliveira Augusto
北京国安
Beijing Guoan/CHN
フルミネンセ
Fluminense
1988/2/8
Overage
652300
8MF/
MEI
ハフィーニャ・アウカンタラ
Rafinha Alcântara
Rafael Alcântara do Nascimento
バルセロナ
Barcelona/ESP
無所属
Sem Clube
1993/2/1259700
12MF/
MEI
ワラシ・ソウザ
Walace Souza
Walace Souza Silva
ハンブルガー
Hamburger/GER
クルゼイロ
Cruzeiro
1995/4/4439000
15MF/
MEI
ホドリゴ・ドウラード
Rodrigo Dourado
Rodrigo Dourado Cunha
インテルナシオナウ
Internacional
アトレティコ・サン・ルイス
Atlético San Luis/MEX
1994/6/1711100
16MF/
MEI
チアゴ・マイア
Thiago Maia
Thiago Maia Alencar
サントス
Santos
インテルナシオナウ
Internacional
1997/3/23320300
7FW/
ATA
ルアン・ヴィエイラ
Luan Vieira
Luan Guilherme de Jesus Vieira
グレミオ
Grêmio
無所属
Sem Clube
1997/3/27646532
9FW/
ATA
ガブリエウ・バルボーザ
Gabriel Barbosa
Gabriel Barbosa Almeida
インテルナツィオナーレ
Internazionale/ITA
フラメンゴ
Flamengo
1996/8/30649720
10FW/
ATA
ネイマール
Neymar
Neymar da Silva Santos Júnior
バルセロナ
Barcelona/ESP
アル・ヒラル
Al Hilal/KSA
1992/2/5
Overage
657043
11FW/
ATA
ガブリエウ・ジェズス
Gabriel Jesus
Gabriel Fernando de Jesus
マンチェスターシティ
Manchester City/ENG
アーセナル
Arsenal/ENG
1997/4/3648730
17FW/
ATA
フェリピ・アンデルソン
Felipe Anderson
Felipe Anderson Pereira Gomes
ラツィオ
Lazio/ITA
パウメイラス
Palmeiras
1993/4/15417701
監督: ホジェリオ・ミカリ(Rogério Micale)

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