〖世代別代表選手 現在地〗2016リオ五輪U-23 <MF> 

投稿者: | 2024年7月19日
2024/07/19 新規投稿

過去の各育成カテゴリー「W杯」「南米選手権」等の国際大会におけるブラジル代表の成績、および、代表選手のその前後の経歴や、投稿日現在の状況を追いかけてみたいと思います。成績等のデータは、サッカーサイト「oGol」を中心に「Wikipedia」などを参照しています。

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〖世代別代表選手 現在地〗2016リオ五輪U-23 <FW> 

【2016年リオ五輪U-23 代表監督&選手の道のり】

<MF>

ヘナト・アウグスト(Renato Augusto, 1988/2/8)

– 大会前
   ヘナト・アウグストこと、ヘナト・ソアレス・デ・オリヴェイラ・アウグスト(Renato Soares de Oliveira Augusto)は、リオデジャネイロの出身で、フルミネンセのフットサルチームにて11歳の時(1999年)に一年上の選手たちに交じりフットサル州選手権優勝を果たし、チーム内で最高の選手と評された。
   2001年にフラメンゴに移籍しサッカーに転向。
   2005年南米U-17選手権(ブラジルU-17代表は優勝)に出場すると、2005年6月全国選手権にて17歳でのプロデビュー。9月にはU-17W杯で4試合1得点の成績を残しブラジルU-17代表の準優勝に貢献。早くから卓越した足元の技術と戦術眼を武器に頭角を現す。
   2007年にはフラメンゴにて45試合6得点を記録。フラメンゴでは通算90試合9得点の成績を残す。
   2008年7月バイエル・レバークーゼン/GERへ移籍。
   2008年8月10日カップ戦にて先発に起用されクラブデビューを飾ると、後半23分にクラブ初ゴール。8月16日に開幕したブンデスリーガでは、スピード、戦術眼、足元の技術を武器に、トップ下でレギュラーの座を掴み、チームの攻撃の指揮を執り、チームシーズン40試合のうち39試合(うち先発37試合)に出場。
   2009/10年はケガのため18試合の出場に止まったが、2010/11年は35試合8得点の活躍。2011/12年はケガが相次ぎ23試合出場に終えると、2012/13年もケガに悩まされ、11試合の出場に止まり、2012年12月に母国ブラジル、コリンチャンスへの移籍を決断。
   バイエル・レバークーゼンでの通算成績は126試合12得点2アシスト。
   レバークーゼン所属時の2012年2月にはフランスとの親善試合に出場し、代表デビューを飾った。
   2013年はチチ(Tite)監督のもと、ケガのために2か月戦列を離脱した時期もあったが、中盤にてレギュラーの座を獲得。2015年には50試合に出場しチームの全国選手権制覇に貢献。11月にはドゥンガ(Dunga)監督率いる2018W杯南米予選第3節アルゼンチン戦にて3年9か月ぶりに代表のユニフォームに袖を通した。
   2016年1月北京国安/CHNへの移籍が発表。中国リーグ開幕から主力選手の一人として活躍。ドゥンガ監督のもと6月に開幕した2016コパ・アメリカに出場。そして、リオ五輪にオーバーエイジとして出場する。
– 大会
   6試合全試合に先発出場。FWネイマールを前面に出した戦術の中、得点に絡むプレーはあまり見られなかったが、右サイドハーフとして攻守に存在感を見せる。
   決勝戦ではPK戦でブラジルU-23代表の一人目のキッカーとして成功。その後ブラジルは全員が成功し、史上初の五輪金メダルを獲得するに至った。
– 大会後
   北京国安では5年間プレーし、150試合40得点32アシストを記録。2018年チームはカップ戦に優勝。2019年には在籍5年間で最多の38試合16得点(12アシストは2018年の14アシストに次ぐ)を記録した。
   代表としては、2016年6月20日のチチ監督就任後の2018年W杯南米予選の全試合に先発出場。2013年と2015年にコリンチャンスにてチチ監督のもとでプレーし、監督の戦術に精通するヘナトは、トレーニングや試合の中で監督の戦術をチームメイトに落とし込む役を担い、チームにとって欠かせない選手となる。
   2018年ロシアW杯本戦では、グループラウンドの2試合と準々決勝ベルギー戦にいずれも途中出場。ベルギー戦では0-2のビハインドで迎えた後半28分にピッチに立ち、3分後の後半31分に起死回生のゴールを奪ったものの、チームは1-2で敗退。涙を飲んだ。
   2000年末に北京国安との契約が満了すると、約半年のブランクを置いて2021年7月にコリンチャンスへ復帰。チームリーダーの一人としての役割を担う。
   2022年はキャリアハイの50試合出場。チームはタイトルに手は届かなかったものの、コパ・ド・ブラジル準優勝、全国選手権4位の成績を収める。
   2023年コリンチャンスは上位争いを期待されながらも結果を残せず、監督交代を繰り返し、ヘナト自身もケガが重なり、年前半は不本意なシーズンを送る。5月にルシェンブルゴ(Luxemburgo)監督が就任すると、チームは若手の積極的な起用に舵を切り、ケガから復帰したヘナトは、ピッチ上で若手選手の生きた教材となり、また、時には若手のプレーをサポートしながら、最終的には年間で45試合に出場、6得点10アシストを記録する。
   2023年シーズンが終了すると、コリンチャンスは多くのベテラン選手と契約を更新せず、ヘナト・アウグストもその一人となり、多くのサポーターに惜しまれつつクラブを去る。
   2024年1月21日2年契約にてフルミネンセに入団。途中交代出場が中心ながら、2024年7月1日現在、23試合(うち先発9試合)1得点を記録している。

ハフィーニャ・アウカンタラ(Rafinha Alcântara, 1993/2/12)

– 大会前
   ハフィーニャ・アウカンタラこと、ハフィーニャ・アウカンタラ・ド・ナシメント(Rafael Alcântara do Nascimento)は、父が1994W杯優勝メンバーで同大会6試合に出場したMFマジーニョ(Mazinho, 1966)、2歳上の兄にスペイン代表として2018W杯など46試合2得点のチアゴ・アウカンタラ(Thiago Alcântara, 1991)を持つ。
   ブラジルのコリチバ、サンカエターノの下部組織を経て、2006年に13歳でバルセロナ/ESPの下部組織に入団。
   2011年1月8日バルセロナBチームの一員としてスペイン2部にて17歳のプロデビューを果たす。
   2011年11月9日のカップ戦にて後半31分にピッチに送り出されトップチームデビュー。しかし、トップチームではほとんど出場機会に恵まれず、2013/14年にはセルタ・デ・ビゴ/ESPにて期限付き移籍でプレー、32試合4得点3アシストの成績を残す。
   2014/15年(シーズン開始時21歳)、バルセロナに復帰を果たすと、MFアンドレス・イニエスタ(Andrés Iniesta, 1984)やMFイヴァン・ラキティッチ(Ivan Rakitić, 1988)の控えながら、36試合に出場し2得点4アシストを記録する。
   2015/16年は前シーズンを上回る活躍が期待されたが、2015年9月16日チャンピオンズリーグにて大ケガを負い半年間戦列を離脱。2016年3月のオリンピック代表親善試合でピッチに復帰。バルセロナでは4月5日に復帰を果たすが、復帰戦を含め5試合170分の出場でシーズンが終了。そして、リオ五輪を迎える。
– 大会
   リオ五輪は、すべて途中出場で5試合に出場。決勝戦では延長戦前半15分に交代出場。金メダルを賭けたPK戦では3人目のキッカーとしてPKを成功させる。
– 大会後
   2016/17年はバルセロナにてラ・リーガ第10節までに6試合5得点と好調な滑り出し。その後は得点関与は減るがコンスタントに試合に出場。2017年に入ると、先発出場の機会も増えていくが、4月2日ラ・リーガ第29節にて前半17分に負傷退場。残りのシーズンを棒に振る。
   2018年1月17日カップ戦にて復帰を果たすが、1月22日にインテルナツィオナーレ/ITAへ半年間の期限付き移籍が発表。
   インテルナツィオナーレでは、加入後のセリエA全試合に出場し、17試合(うち先発12試合)2得点3アシストを記録。
   2018/19年はバルセロナにて8試合1得点にとどまったものの1年間の契約延長。
   2019/20年はラ・リーガ開幕3試合に出場した後、セルタ・デ・ビゴへ期限付き移籍し30試合4得点1アシスト。
   2020年10月5日、パリSG/FRAへの加入が発表。
   2020/21年は加入後のチーム51試合のうち34試合に出場するが、翌2021/22年は出場機会が大幅に減り5試合の出場に止まり、2021年12月27日にレアルソシエダ/ESPへの期限付き移籍が発表。加入後のチーム23試合のうち21試合に出場するが、レアルソシエダとの契約は更新されずパリSGに復帰するものの、2022/23年はパリSGにて構想外となる。
   2022年9月3日アル・アラビ/QATへの加入が発表。アル・アラビでは主力として2022/23年はチームのエミレーツ杯優勝、カタールリーグ2位に貢献。2023/24年はチームとしてはタイトル獲得はなかったものの主力として活躍。
   2024年5月13日にシーズン最終戦を終えると、ブラジル国内でパウメイラスが獲得に動くとの報道が伝わる。アル・アラビとの契約は2024年6月末に満了。その後移籍に関する続報はなく、2024年7月1日現在、無所属となっている。

ワラシ・ソウザ(Walace Souza, 1995/4/4)

– 大会前
   ワラシこと、ワラシ・ソウザ・シウヴァ(Walace Souza Silva)は、ブラジル連邦共和国バイーア州の州都サウヴァドール(Salvador)出身。2011年(15歳)に地元のクラブから出場したU-17カテゴリーの大会でアヴァイーのスカウトに見出されアヴァイーへ移籍。2013年にU-19チームにてグレミオとの試合に出場し直接FKを決めたことをきっかけに、グレミオU-18への移籍が決まった。
   2014年4月27日全国選手権第2節アトレチコ・ミネイロ戦の後半37分にピッチに立ち19歳でのプロデビューを果たすと、自身2試合目となる8月10日全国選手権第14節クラシコとなるインテルナシオナウ戦にてプリメイロボランチとして先発に抜擢。そこから次第に出場機会が増えていき、シーズン最後の6試合に連続でスタメンに起用される。
   2015年は、U-20代表として、1月開幕のU-20南米ユース選手権の決勝ラウンドを中心に5試合に出場。グレミオ帰還後にはレギュラーの座を獲得し、チーム年間67試合のうち50試合に出場。
   2016年も、チームの中核選手として活躍。6月にはドゥンガ(Dunga)監督率いる2016コパ・アメリカでのハイチ戦に19分間の出場を果たし21歳での代表デビュー。リオ五輪を前にした公式戦最後の試合でゴールを決め、最高の状態でリオ五輪を迎える。
– 大会
   リオ五輪は、予選グループラウンドの開幕節、第2節では控えに甘んじるが、チームは南アフリカ、イラクを相手にいずれも0-0の引き分けに終える。第3節デンマーク戦にワラシがワンボランチとして先発に抜擢されると、フィルター役としてはもちろんのこと、攻撃の起点としても機能。サイドバックが高い位置をキープし、中盤の攻撃的な選手がゴールに近い位置で前を向いてプレーする機会が増え、チームは一変。デンマーク戦に4-1の勝利を収めると、決勝ラウンドの3試合はすべて先発に起用され、チームは準々決勝2-0、準決勝6-0と勝利を収め、決勝では1-1に終え、PK戦の末、史上初の五輪金メダルを獲得。
   個人的に、VOLワラシの起用がブラジルを金メダルに導いたと確信している。
– 大会後
   グレミオに帰還後もレギュラーとして活躍し、クラブでの成績は年間45試合5得点3アシスト。チームのコパ・ド・ブラジル優勝に貢献。
   グレミオでの通算成績は115試合5得点4アシスト。
   2017年1月29日ハンブルガーSV/GERへの移籍が発表。
   2月7日カップ戦にてクラブデビューを果たすと、2月11日ブンデスリーガ第20節にてクラブ初ゴール。一年目のシーズンは半数の試合をスタメンで出場し、残りの半数をベンチで過ごす。
   2017/18年は序盤からボランチの1番手として試合に出場。10月半ばからに約一か月半控えにまわるが、12月には先発に復帰。しかし、年末年始を挟んだ約一か月間をケガで離脱すると、3月10日の試合中のケガで残りのシーズンを棒に振る。そして、チームは2部降格。
   ハンブルガーSVでは30試合2得点2アシスト、酒井高徳選手や伊藤達哉選手とプレーする。
   2018年6月26日、原口元気選手と浅野琢磨選手が所属するハノーファー96が600万ユーロ(2024年6月現在の為替レートで約10億円)の移籍金でワラシ・ソウザを獲得。ワラシ・ソウザはリーグ戦、カップ戦あわせ28試合に出場するが、チームは2部に降格。
   ハノーファーでの成績は28試合1得点1アシスト。
   2019年8月12日、ウディネーゼ/ITAが5年契約、600万ユーロの移籍金でワラシ・ソウザを獲得。
   2019/20年、2020/21年序盤こそ、先発出場や交代出場を繰り返したものの、2020年12月以降は中盤の底に定着。2023/24年はチーム最多の3335分の出場時間を記録。ウディネーゼでは2023/24年終了時点で165試合3得点1アシストを記録し。
   2023/24年終盤にフルミネンセやコリンチャンスなどが獲得に動いたものの、2024年6月最終的にクルゼイロへの移籍合意が発表される。移籍金は600万ユーロ(約10億円)。
   2024年7月2日クルゼイロよりワラシ・ソウザ獲得の発表が行われた。
   代表では先述の2016コパ・アメリカでのデビューの他に、2017年に1試合、2018年に3試合、いずれも国際親善試合に出場している。

ホドリゴ・ドウラード(Rodrigo Dourado, 1994/6/17)

– 大会前
   ホドリゴ・ドウラードこと、ホドリゴ・ドウラード・クーニャ(Rodrigo Dourado Cunha)は、リオグランデドスル州ペロッタス(Pelotas)出身。州都ポルトアレグレに本拠を置く名門インテルナシオナウの下部組織に12歳の時(2006年)に入団する。
   早くから将来を嘱望され、2011年南米U-17選手権代表に選出され、本大会は4試合に出場しチームの大会制覇に貢献する。
   2012年1月26日リオグランデドスル州選手権にて後半33分にピッチに送り出され17歳でのプロデビューを果たす。
   2015年(年初20歳)トップチームに昇格すると、ディエゴ・アギーレ(Diego Aguirre)監督の抜擢により、2月に開幕した州選手権で多くの出場機会を与えられ、監督の期待に応える活躍と成長を見せ、全国選手権30試合や州選手権決勝戦H&A、リベルタドーレスなど54試合(うち先発51試合)など、レギュラーの座を獲得する。
   2016年も不動のレギュラーとしてシーズン入りするが、3月の五輪代表親善試合後にケガを負い、約2か月間ピッチから遠ざかる。しかし、6月には試合に復帰。インテルナシオナウにて8試合に出場し、リオ五輪を迎える。
– 大会
   リオ五輪は1試合11分間の出場。グループラウンド第3節デンマーク戦にて後半34分にMFヘナト・アウグストとの交代でピッチに立つ。
– 大会後
   リオ五輪閉幕後も、インテルナシオナウでは主力の一角としてシーズンを送る。しかし、チームは全国選手権17位に終え2部降格。
   2017年はキャリアハイとなる55試合4900分超の出場、インテルナシオナウの一年での1部昇格に貢献。
   2018年もまた、47試合4200分超の出場記録を残し、インテルナシオナウの全国選手権3位躍進の立役者となる。
   しかし、2019年序盤に膝に痛みを感じるようになると、4月9日リベルタドーレスでの試合中に相手選手と接触。これを機に痛みは慢性的なものとなり、5月に手術を受け一時的には回復したものの、ケガは完治しておらず、7月10日の試合を最後に試合から遠ざかる。
   膝痛の原因となった骨挫傷は、一般的にレントゲンやCTでは骨の異常は発見できず、また、効果の高い治療法がない。ホドリゴの場合は、診断が遅れプレーを続けていたことから治癒まで長い時間を要することとなり、ピッチへの復帰は、離脱前最後の試合から15か月後の2020年10月となった。
   長期間チームを離脱することとなったが、ケガも完治し、復帰後一か月を経過した2020年11月にはレギュラーの座を奪還。
   翌2021年は46試合5得点2アシストを記録を残し復活する。
   2022年序盤の州選手権では、監督交代や若手選手の積極的な起用もあり出場機会が減少。4月開幕の全国選手権に入り、先発起用も増えていくが、2022年6月クラブはアトレティコ・サン・ルイス/MEXへの移籍に合意する。
   2006年12歳での入団以来、インテルナシオナウでは16年間プレーし、トップチームでは11年間307試合20得点11アシストの成績を収め、メキシコへ旅立った。
   3年契約で加入したアトレティコ・サン・ルイスでは、加入後すぐにボランチのポジションに定着。
   2022/23年は、チーム全39試合のうち31試合に出場。
   2023/24年は、チーム全39試合のうち37試合に出場。このシーズンは多くの試合でセンターバックを務める。
   3年契約の最終シーズンとなる2024/25年は、2024年7月6日に前期リーグが開幕。開幕節クラブ・アメリカ戦はセンターバックとして90分間のフル出場。2023/24年前期・後期リーグを制覇したクラブ・アメリカを相手に1点に抑え、チームの開幕白星に貢献した。

チアゴ・マイア(Thiago Maia, 1997/3/23)

– 大会前
   チアゴ・マイアこと、チアゴ・マイア・アレンカール(Thiago Maia Alencar)は、ブラジル連邦共和国ホライマ州ボアヴィスタ出身。ホライマ州はブラジル最北部の州で、ベネズエラやガイアナと国境を接し、ほとんどの地域がアマゾン熱帯雨林に属するド田舎の州。
   地元のサッカースクールで頭角を現したチアゴ・マイアは、サンパウロ州のサンカエタノを経て、2011年サントス下部組織に入団。
   2013年南米U-17選手権(準優勝)、U-17W杯(ベスト8)代表。
   2014年10月25日全国選手権第31節シャペコエンセ戦にてサントスから17歳のプロデビューを飾る。
   2015年(年初17歳)、ウルグアイにて1月に開幕したU-20南米ユース選手権の5試合出場(チームは4位)。
   帰国後、サントスでは出場機会に恵まれず、5月6日になりコパ・ド・ブラジルでの4分間のプレーで2015年の初戦を迎えるが、その後しばらくは僅かな時間の出場に止まる。
   ところが、自身シーズン6試合目の6月28日全国選手権第9節にて先発に抜擢されると、そのままポジションに定着する。同年は全国選手権28試合、コパ・ド・ブラジル9試合など、年間37試合に出場し、チームのコパ・ド・ブラジル準優勝に貢献。
   2016年は、1月下旬~5月上旬開催のサンパウロ州選手権を主力として参戦しチームは優勝。5月中旬に開幕した全国選手権においても7月16日第15節までの全試合にスタメン出場。そして、リオ五輪を迎える。
– 大会
   リオ五輪は、グループラウンド開幕節、第2節にプリメイロボランチとして先発出場、チームはいずれの試合も0-0の引き分けに終える。第3節は出場停止となり、決勝ラウンド一回戦(準々決勝)では、1-0のリードで迎えた後半22分に守備要員としてフォワードの選手との交代出場、厳しいマークでチームの勝利に貢献。準決勝、決勝では出場機会は訪れなかった。
– 大会後
   五輪後もサントスにてレギュラーとして活躍。2016年は五輪のため6試合に欠場するものの、全国選手権は31試合に出場、年間52試合4500分弱の出場記録を残す。
   2016年末にはゼニト/RUSからのオファーを受けたものの、この移籍は実現しなかった。
   2017年2月開幕のサンパウロ州選手権を皮切りに、リベルタドーレス、コパ・ド・ブラジル、5月中旬開幕の全国選手権とフル稼働。
   そして、7月12日にサントスでの最後の試合を迎える。サントスでの通算記録は122試合4得点4アシスト。
   2017年7月15日リール/FRAへの移籍が発表。移籍金は1400万ユーロ(2024年6月の為替レートで約24億5000万円)。
   2017年8月6日リーグ・アン開幕節にて5分間の出場を果たしクラブデビュー。第3節にて先発に起用されると、その後はポジションに定着。2017/18年は、リーグ・アン34試合など、年間37試合(うち先発31試合)1得点の成績を残した。
   ところが、翌2018/19年は開幕からベンチスタートが続き、Bチームでの試合に出場するなど、状況は一変。27試合(うち先発13試合)1アシストの成績に終える。
   2019/20年も出場機会に恵まれない状況が続くと、2020年1月22日、フラメンゴへの期限付き移籍が発表。(リールでの通算成績は68試合1得点1アシスト)
   フラメンゴ加入後は、途中交代出場が続いたものの、9月を目前にプリメイロボランチのポジションに定着。チーム随一のボール奪取数を記録するが、11月に膝の故障で戦列を離脱。
   2021年6月下旬に戦列に復帰すると、先発、途中交代を繰り返し、チームのリベルタドーレス準優勝、全国選手権2位に貢献。
   2022年前半も、先発、途中交代を繰り返す状況が続くが、6月中旬にドリヴァウ・ジュニオール(Dorival Júnior)監督が就任すると、ジョアン・ゴメス(João Gomes, 2001)との2ボランチの一角に定着。チームのリベルタドーレスとコパ・ド・ブラジルの二冠に大いに貢献する。
   2023年は2度の監督交代があったものの、いずれの監督にも評価され、キャリアハイの64試合(うち先発51試合)を記録。
   ところが、2024年は出場機会が急減。1月に開幕した州選手権では僅か1試合の出場に止まり、3月7日にインテルナシオナウへの買取義務が設定された期限付き移籍が発表される。(フラメンゴでの通算成績は170試合5得点2アシスト)
   インテルナシオナウ加入後は、プリメイロボランチとしてスタメンに定着。2024年7月3日インテルナシオナウは、フラメンゴに対し買取義務の事前行使を通知。移籍金は400万ユーロ相当(約7億円)、契約期限は2026年末。最終ラインの前でフィルター役として安定したプレーを見せ、チームへの貢献度は高い。

【2016年リオ五輪U-23 代表選手一覧】

「現所属※」欄は、2024年7月1日現在の所属クラブ。






















1GK/
GOL
ウェヴェルトン
Weverton
Weverton Pereira da Silva
アトレチコ・パラナエンセ
Athletico Paranaense
パウメイラス
Palmeiras
1987/12/13
Overage
657000
18GK/
GOL
ウィウソン
Uilson
Uilson Pedruzzi de Oliveira
アトレチコ・ミネイロ
Atlético Mineiro
引退
Aposentado
1994/4/280000
3CB/
ZAG
ホドリゴ・カイオ
Rodrigo Caio
Rodrigo Caio Coquette Russo
サンパウロ
Saõ Paulo
グレミオ
Grêmio
1993/8/17653800
4CB/
ZAG
マルキーニョス
Marquinhos
Marcos Aoás Corrêa
パリSG
Paris SG/FRA
パリSG
Paris SG/FRA
1994/5/14656310
14CB/
ZAG
ルアン・ガルシア
Luan Garcia
Luan Garcia Teixeira
ヴァスコ・ダ・ガマ
Vasco da Gama
トルーカ
Toluca/MEX
1993/5/1023900
2SB/
LAT
ゼカ
Zeca
José Carlos Cracco Neto
サントス
Santos
ミラソウ
Mirassol
1994/5/16655400
6SB/
LAT
ドウグラス・サントス
Douglas Santos
Douglas dos Santos Justino de Melo
ハンブルガー
Hamburger/GER
ゼニト
Zenit/RUS
1994/3/22
Overage
655401
13SB/
LAT
ウィリアン・フルタド
William Furtado
William de Asevedo Furtado
インテルナシオナウ
Internacional
クルゼイロ
Cruzeiro
1995/4/333200
5MF/
MEI
ヘナト・アウグスト
Renato Augusto
Renato Soares de Oliveira Augusto
北京国安
Beijing Guoan/CHN
フルミネンセ
Fluminense
1988/2/8
Overage
652300
8MF/
MEI
ハフィーニャ・アウカンタラ
Rafinha Alcântara
Rafael Alcântara do Nascimento
バルセロナ
Barcelona/ESP
無所属
Sem Clube
1993/2/1259700
12MF/
MEI
ワラシ・ソウザ
Walace Souza
Walace Souza Silva
ハンブルガー
Hamburger/GER
クルゼイロ
Cruzeiro
1995/4/4439000
15MF/
MEI
ホドリゴ・ドウラード
Rodrigo Dourado
Rodrigo Dourado Cunha
インテルナシオナウ
Internacional
アトレティコ・サン・ルイス
Atlético San Luis/MEX
1994/6/1711100
16MF/
MEI
チアゴ・マイア
Thiago Maia
Thiago Maia Alencar
サントス
Santos
インテルナシオナウ
Internacional
1997/3/23320300
7FW/
ATA
ルアン・ヴィエイラ
Luan Vieira
Luan Guilherme de Jesus Vieira
グレミオ
Grêmio
無所属
Sem Clube
1997/3/27646532
9FW/
ATA
ガブリエウ・バルボーザ
Gabriel Barbosa
Gabriel Barbosa Almeida
インテルナツィオナーレ
Internazionale/ITA
フラメンゴ
Flamengo
1996/8/30649720
10FW/
ATA
ネイマール
Neymar
Neymar da Silva Santos Júnior
バルセロナ
Barcelona/ESP
アル・ヒラル
Al Hilal/KSA
1992/2/5
Overage
657043
11FW/
ATA
ガブリエウ・ジェズス
Gabriel Jesus
Gabriel Fernando de Jesus
マンチェスターシティ
Manchester City/ENG
アーセナル
Arsenal/ENG
1997/4/3648730
17FW/
ATA
フェリピ・アンデルソン
Felipe Anderson
Felipe Anderson Pereira Gomes
ラツィオ
Lazio/ITA
パウメイラス
Palmeiras
1993/4/15417701
監督: ホジェリオ・ミカリ(Rogério Micale)

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